Y.SO.13

 

 地下に降りたそばから、足元からぞわぞわと伝わる生き物の気配。

 商店街の一区画とは分かっているのに、まるで異世界に紛れこんだような印象を受ける。地下に降りた階段付近に、ヴィランズの子どもと魔女、それから先輩社員であるベレルを置いて、昴は室長のフォードに導かれるまま薄暗い廊下を歩いていた。 

 コンクリートの壁は冷たく、こびりついた赤黒い痕が模様を描いている。向かって左側のペットショップ側から侵入した所為だろう、均等に並ぶ扉はすべて右側に配置されていた。

 一本道の廊下から一直線に最奥を目指す最中、通り過ぎた鉄の扉の中にざわりと動く何かの影を感じて、ぞっと鳥肌が立つ。うかつに口を開くこともできない空気。喉の奥で小さくひゅーひゅーと震える自分の呼吸音だけが、どこか他人事のように耳に残っていた。

 

「なぁ、素朴な疑問なんだけどよ、」

 

 迷いなく進みながら切り出したのはミラージュ=アラン。新人の斜め前を歩いていた彼は、軽く頭を後ろに反らして何気なく尋ねる。完全にこちらを見てはいないながらも、昴に向けた質問なのは明らかだった。思わず背筋を伸ばして息をのみ、どもりながら返事をする。

「は、はい!」

「いや、そこまで畏まらなくていいけど。あぁ、で、さ、」

 魔王の緊張感のない声が、ポンと落ちる。

 

「……バスター510の初任給って、だいたいいくら?」

 

 …………

「いやいやいや、自分なに聞いとんねん!」

 多少凍った空気を割いて、先頭を歩いていた室長が大振りな動作で振り返る。器用に足は進めながらも、目を見開いた焦り顔が魔王を見た。

「なにって、給料だろ? 就職先を考えるとしては重要な部分だし、あの後藤が社員にいくら与えてんのかと思ってな」

「その心は!」

「最近の若い奴、全然金持ってないんだけど。東大陸の最低賃金どうなってんだよ、という参考資料に」

 眉一つ動かさない魔王に即答で真意を聞いて、フォードは「あー……」とつぶやきながら脱力する。

「それはアレか? 最近の勇者事情?」

「そうそう。ここ数年やたらとラスボス予約増えてそれはいいんだけどよ、その分一人当たりの収入ががっつり減ってんだよ。全然収益上がらねぇし、手間が増えただけ気分はマイナス」

 すらすらと吐き出される文句に合わせて、一切乱れない黒ブーツの足音がコンクリートに響く。本当に魔王の仕事は勇者退治らしい。

「せっかく銀行預金まで取りに行ってやってんのに、勇者の残高全然なくてな。もうホント、最近の若い奴は貯金とかしねぇのかよ、って思った」

「いやいやでも、うちらの頃と支給額変わってきてるんはホンマやで。確かにもう何年も続いとるからアレやけど、給料少なすぎて若人は全然遊べへん。しょーもない世界になってしもうたわ」

「だろ? 今度から、ラスボス戦負けた奴は固定資産まで差し押さえようかって案もあったんだが、……そもそも装備にもお金かけられない勇者が土地とか家とかを買うのか、という話に」

「買えへんやろーなー……」

「だよなぁ」

 

 これは、何の話をしているんだ。

 自分宛てに振られた話がいつの間にか室長との会話になっている。それに多少の寂しさと安堵を覚えながら、昴は黙々と二人の後について歩いていた。

「ってか、ホンマに勇者の数って増えとるねんな」

「いいや、頭数はまぁ、言ってちょっと増えたぐらいだ。ただ、累計の挑戦回数だけが異様に伸びてる。……それもこれも全部HEROの所為だけどな!」

「あーやっぱ影響あったんや」

「めちゃくちゃ影響受けたし、大打撃だよ! あンの組織訳分からんルール勝手に作りやがって……」

 唐突な声色の変化に戸惑う。忌々し気につぶやかれるセリフに熱が入っていた。腕を組んだ姿勢のまま、魔王は少しだけ歩くペースを上げる。

 廊下を道なりに曲がり、突き当たりに扉が見えた。待ち構えたように相対する静かなドア。長い廊下の一つに古びた蛍光灯が、ジジジと音を立てて寿命を迎えている。不規則に着いたり消えたりを繰り返す照明は、まるで頭上からの攻撃のようだった。明かりが揺らめくたびに小刻みに肩が跳ね上がる。

「あれが、一番奥ですか…?」

 

 異様な気配と立ち上るケモノの匂いに対し、声を出さなければ押しつぶされそうだ。アランの背中から顔だけを出すように首を伸ばし、昴はおそるおそる奥を覗いた。ほかの扉と相違ない、飾り気のない扉。そこにかけられたプレートの文字を読む。

 

 『子ども部屋』

 

 目の高さに合わせたプレート。水色のかわいくアレンジされた文字が、この地下の雰囲気とどうしても合わず、違和感を生み続ける。

 ぞっとした。こみあげる嫌な予感に、産毛が逆立った腕をたださすり続ける。

 

「昔から、いろんな研究施設見てきたけど、これだけは毎回変わらへんなぁ」

 同じ物を見ているはずなのに、その違和感を流すかの如く室長は穏やかに笑っていた。その朗らかさはこの地下施設にあまりにも不釣り合いで、同時にものすごく頼もしい。

 片腕で肘を抑え、昴は一言「何がですか?」と投げかける。

「ん? 大したことちゃうねんけど、」

 納得を示した瞳がきょとんと新人を見つめる。フォードは小首をかしげて頬をかいた。

「だれでもどんな場所でも、これだけは一緒や。一番大事なモンは、一番(いっちゃん)奥に閉ま

っておく。人の心理なんて、そんなもんや」

 せやし今日も最奥までまっしぐらやってんけどな。

 かっかっかと笑い飛ばして、室長は告げる。そのまま、調子を変えずに腰に手をかけた。ジャケットと同じ色のスラックス、そのベルトにつり下がったまき割り用の斧の安全カバーを外す。

「それで、中にはもうおるんかな?」

「……?」

 何のことかと昴が言葉に詰まったその一瞬の隙に、アランが答える。

「ここから分かるだけでも、7……いや、10は、いる」

 すぅと金色の目を細めて、黒のコートから伸びた手が、ドアノブにかかった。

 

「さよか。……ほな、昴くん」

 

 突然名前を呼ばれた。

 

「は、はい!」

 何事かと目を瞬かせる新人に、フォードはにっこりと瞼で三日月を描く。

 

「復習の時間や。キメラの分別基準って、なんやったっけ?」

 

 底抜けに明るい口調が、蛍光灯の下で場違いな緊張感を生んでいた。へ? と真っ先にこぼれたものの、ニコニコ顔がブレない室長を前に、昴は暗記してきた項目をたどたどしく口に出す。

 

「成功作か失敗作か、そして、商品か不良品か……。同じ存在、均一な品質が存在しないからこそ、キメラの分類を数値で決めるのは、好ましく、ない」

 

 『これで分からなかったらアウト』と書かれた冊子、その中にあった一文。

 キメラを創るには、なんらかの目的と目標が必ず存在する。要するに、研究者が化け物を使って何をしたいか、どんなモノを創りたいのか、という明確なビジョン。

 研究者の目的に、キメラの能力が見合っていなければ、どれだけよくできた合成獣であっても失敗作となる。成功作とは、製作者にとっての成功に他ならないからだ。

 

 一方で、商品か不良品かは、そのキメラを処理する、相対する者にかかっていた。細かい判断基準は人によって違うだろうが、冊子曰く。

「ちょっと見てまともそうだったらセーフ、危ないと思ったら、アウト、……」

 大雑把すぎる。昴も読んだときにそう思った。

 しかし室長は感動したように目を輝かせて、「よう覚えとるやん!」と声を上げた。危機が一つ去ったような安心感。ほっと息をつく。

 しかしそれも長くは続かない。

 

「……なら、その目で判断してもらおうか」

 

 水を差すような、ぞくりとする落ち着きを払い、地下の通路にこだまする声。

 得物を構えな。と続けて発したのは、ドアノブを握って昴を見据える魔王。

 得意げで、優しげで、それでいて残酷に、高揚感に満ちたその一言は、……昴にとって一生忘れられないものとなる。

 

「お前から見て、このキメラたちは、……どんな化け物に見える?」

 

 

     ***

 

 

「『不良品』にして、『失敗作』デスね」

 自分が何を口走っているのか、なぜ暴れているのか、おそらく本人も把握していないだろう。

 元母親だった不良品のキメラ、その巨体を観察して、ベレルの判決は早かった。

 

 ガリガリガリッ――!

 

 床にぶつかった摩擦部分から、硬いものが擦れあう音がする。間違いなく人間一人分の体積を超えた巨大な肉塊が、地面を這う。

 殴ったあとの振り下ろした腕をそのままに、みことはキメラの体躯を見下ろした。

 あの座った体制のどこにこんな巨体が収まっていたのかは知らないが、床に横になった異形の体をこうして見ると、あんなに広かったリビングの面積がいやに狭く思える。

 家族で平和に暮らすための家というのは、喧嘩するには向いてないのだ。

 みことは、つくづくそう思う。自分が拾われたのが城でよかった。

 キメラは殴られたことで、ようやくみことを認識したらしい。壁にぶつかり、衝撃を受け止めてから、ぬらりと立ち上がる。結晶となった石の鋭い爪を構え、前傾姿勢で身長150センチメートルを睨む。

 オーガの一撃を食らって死ななかった。思ったよりも強靭な肉体を持っていることに警戒を強める。

「来るわよ!」

 ツナミの注意が走り、みことが盾になるように前方へ出た。キメラを中心に光の紋様が浮かび上がる。一般には見慣れない摩訶不思議な文字の繰り返しも、魔女の智からは逃げられない。

 

「魔力増幅の魔法陣。……でも、失敗してる! 不完全だわ!」

 

 紋様は二重構造でキメラを取り囲む。肉体すべてを覆うものは徐々に膨らんでいき、やがて三人を包んでいく。もう一種類、生き物のようにのたうち回る線状の紋は、キメラの腕と首に巻き付いてぼんやりとした光を放っていた。

 

〈お願イだから、アの人には言わナいで…!〉

 

 かろうじて人を残した声帯に、悲痛な叫びが乗る。宝玉香るはかなき人間の腕が、錯乱したように引き攣り、戦慄き、そして、はじける。

 顔に、腕に、胴体に、殴りつけるような圧がかかった。茜色の髪とショールが風にたなびく。

 が、それだけだった。そんなもの、魔女にとっては舞台を演出する効果の一つでしかなかった。

 バラの香りがベレルの鼻を刺す。

「宝石だと思ってた顔のアレ、実は魔力増幅器だったようね。でも壊れてる上に、増幅した魔力の使い方がキメラには分からない。肝心の魔法に昇華する手段がないのよ。だから、魔力そのものをぶつけることしかできない」

 発動した、と思ったキメラの魔法は不発だった。否、正確には魔法でもなかった。

 ただ中途半端に増幅させた魔力の塊。子どもがじゃれてくるようなソレを、ツナミは緑色の手で軽く振り払う。みことに至っては、衝撃を感じているかも分からない。力強く開いた手のひらがフードを外した。

「石と合成されてるとはいえ、もとは一般家庭の主婦よ。戦い方なんて知らないようね。あぁでも、暴力の振るい方は分かっているのかしら」

「殴るだけならみことにもできるのだ」

 小さなツノを露出させたみことが、広がった視野の中央にキメラを置く。

「そうそう、緑豆にもできる簡単なお仕事ね」

「豆じゃないのだ。みことなのだ!」 

 叫びながら、みことは一切のためらいなくその短い脚を踏み出した。

 最大にまで振りかぶった拳をキメラに向け、今度はそのキラキラ光を反射する顔めがけて腕を振るう。

 しかし。

 ガシィ、と音を立てて、褐色の小さい掌は白く細い指に包まれた。

 

 受け止められたか……――。

 しかしそれも予想の範囲内。みことの口がニィと笑みを形作る。ほうじ茶色の目を爛々と輝かせ、全身から楽しいと主張するその表情は、とある人物を思わせる。

「ああもう、あいつのそういうところだけはちゃんと真似するんだから」

 見覚えがある、それも当然だった。その笑みは、戦いに踊るミラージュ=アランの表情そのもの。狂気に満ちた魔王の笑み。

 

「戦うことは、楽しい。楽しまなければ、意味がないのだ!」

 

 みことは言いながら、つかまれた手を振り這うこともせず、逆に押し付け飛び出す形で、そのままキメラに殴り掛かった。

 

 ………………

 …………

 

 みことが自分の特性を理解したのは、ツナミとの初対面の時だった。オーガってそもそもなんなのよ、と完全に馬鹿にして言うツナミに向かって、仕返しのつもりで殴り掛かるふりだけしてみたら、衝撃波だけで執務室の扉をぶち破って階段まで破壊した。

 あの時のアランと司とツナミの顔は忘れられない。

 そして、みことは理解した。

 

 パワーだ。何もかもを破壊するパワーが、自分にはある。テクニックも戦術も笑い飛ばすような力が、みことにはある。

 

 だからみことは、作戦など立てない。引くことも考えることもしない。ただ前に出る。前に進む。そして拳を突き出す。

 それだけで、いい。

 押し返されるとは思っていなかったのか、キメラはたたらを踏んで一歩下がる。しかしみことの手は離さない。

 やわらかくて暖かい、まさに母親のような手。細い指のどこにこんな力があるのか。

「でも、みことの方が強いのだ」 

 みことが確信して言う。もう片方の腕もまたキメラの腕につかまるが、それでも優位は揺るがないと得意げに笑う。

 両腕を目いっぱい使って力勝負に持ち込んだ身長150センチメートルは、押し相撲と化した化け物(ジャック)と豆の戦いを本気で楽しんでいた。

 一方でツナミは状況を整理する。キメラは動きを止めた。みことの相手をするのに集中している。ならば、その間にこちらは魔法を用意してやろうじゃない。

 お手本を見せてあげるわ。と魔女が笑みを浮かべた、そのとき。

 

「イイエ、その必要はありまセンよ」

 

 ゴトン、と音を立てて、キメラの首が、落ちた。 

「へ?」

 押し勝とうとしていた力が急に弱まり、みことが拍子抜けした声を上げる。見上げると鉱石まとう巨体がゆっくりと自分に向かって倒れ掛かっていて、慌てて飛び避けた。危ない、押しつぶされるのだ。でも今、何があった? 頭にわかりやすい疑問を乗せて、顔を上げる。 

 ツカツカと歩いていく影があった。しわ一つない漆黒のスーツに、愛用の鉈を構えて、まっすぐに出口に向かっていた。

「みことサン、時間稼ぎありがとうございマシタ」

 

 最後に死体と部屋の様子を撮影しようと小型機器を取り出すベレルが、無表情の中に確かな感謝を匂わせて、そこにいた。映りマスよ、なんて注意を促して淡々と機械をいじる。 

「いやいやいや、あんた、なんて容赦のない……」

 ツナミは目を見開いたまま、先ほど見た光景を再生する。

 キメラはみことと組み合って足を止めていた。するとキメラの真上に漆黒の影が見え、次の瞬間キメラは死んでいた。戦う、なんてものではなかった。倒されたというよりも、屠られていた。 

 ……ベレルが、一瞬でやったのだ。 

 別にそれを悪いなどという気はない。目的が達成できれば、その過程を問う仕事ではない。それでも、なにかちょっと面白くない。

 ツナミの不満げな視線に気づいたのか、ベレルが「あぁ、」と手を打つ。

 スイマセン。私、どうしても自分でしたかったんデス。

 ベレルは感情読めない声色で銀縁眼鏡から血の跡をぬぐう。何か恨みでもあったのだ? 短絡的にそう尋ねたみことの素直な疑問に、キメラ特別対策室の女性社員はふと頬を引きつらせた。

 

 笑顔だった。

 不器用なまでに、しかし思わずこぼれてしまったように、そして何でもないことのように、ベレルは心からの感謝と逸楽を言の葉に乗せて、笑う。 

「だって私、人を殺したくてキメラ特別対策室にいるんデスから」

 

 ベレル=CVTは、殺人犯罪者予備軍だった。

 とある日を境に人を殺したくて殺したくてしょうがなくなった彼女は、……それでも殺人に走ることはなかった。その後の人生を考えるとリスクが高すぎたからだ。

 人を殺す、捕まる、最悪死刑。釈放されたとしてもその後の生き方は考えようがないほど悲惨だろう。もしかしたら、自分だけが苦しむわけにはいかないかもしれない。家族とか友人とかにも迷惑をかけるかもしれない。

 そういった現実的な損得勘定の結果、ベレルが人を殺したい欲望に負けることはなかった。だが、心の底ではずっと、誰かを屠りたいと思っていた。

 これを誰かに話したことはない。同意が得られるとも思っていない。死ぬまで心に潜めておくつもりだった。なのに、その深層意識を見抜いた人物がいたのである。

 それが、後藤。株式会社バスター510の社長だった。

 採用の面接で、彼はベレルに向かって告げた。

「キミ、人間一人ぐらい余裕で殺しそう。よし、採用」

 その後はすぐさまキメラ対策室に配属され、今に至る。

 社長は今でも、尊敬する人物の一人だ。

 ヒトを合成したキメラの駆除が仕事で入ると、ベレルのテンションは上がる。そしてキメラが人間の原型を多く残していればいるほど、自分の手で殺めたくてしょうがなくなる。

 

「私は、キメラの実験素材に人間が使われ始めて、救われまシタ」

 

 今はもう、殺人衝動に従っていい。『不良品』の化け物ならば、屠ってもいい。

 ベレルはもう、我慢する必要はなくなったのである。

「キメラ生成は、人間のエゴが生んだ悲しい技術。実験の犠牲になった人のことを考えると、あんな技術はないほうがよいかもしれマセン。でもここには確かに、その技術が生まれた結果、救われた人間がいるんデス」

 鉈から血を拭い、下手なほほ笑みを浮かべながら、ベレルは「次に行きまショウ」と述べた。ピシリとしわ一つなく着こなされたショートスカート。その後ろ姿は、どこまでも誇らしげだった。

 

 

     ***

 

 

「まさかこれも、ふ、不良品なんですか?」

 

 昴はこの日、初めてキメラというものを見た。

 扉を開けた先の空間にいたのは、確実に自然界には存在しないにも関わらず、その姿が当然であるかのようにうごめく化け物の群れだった。鼻に突き刺さるケモノ臭。埃と合わさって異様な臭気が不快感を誘う。

 昴がキメラを見ると同時に、キメラもまた人間を見つめる。何しに来た? と言いたげな目が、突然部屋に入ってきた不審者たちを迎える。

 

「さぁな。お前は、どう見る?」

 

 アランが楽し気に、試すかのように返事を促す。質問に質問で返すその議題は、このキメラたちはどういう処理をするべきか、という重苦しい討論の始まりだった。

 不穏な空気を感じ取ったのか、キメラたちが一斉に距離をとる。警戒し、睨んだ眼を昴に突き刺しながら、こちらの一挙一動をうかがっている。 

「そんな、だって、こいつら、生きてる……」

 呆然と昴はつぶやいた。言いながら、「違う。生きているだけなら魔物だって同じだ」と自分で答えを出す。ではなにが違うのか。目の前の現実から目を反らしたい意識が、自問自答する頭を高速で回転させる。

 昴が感じた違和感の正体。それは、

 

「だって、こいつらここで、生きてるだけじゃないですか…!」

 

 キメラたちはこの場所で、目的のある行動に出ているわけではなかった。ただこの空間で、『生きている』だけだった。同じ境遇の化け物たちで殺しあったような痕跡も見つからない。哺乳類、鳥類、爬虫類、様々な生き物の部分的要素が垣間見える異質な融合体たちが、みな手と手を取り合って、生きて、……怯えている。

 

 昴という殺戮者を見て、怯えている。

 

 バスター510本来の業務である魔物退治でも、顧客が必要とする以上の駆除はしない。つまりは、人間の迷惑にならない魔物にまで、手をかけたりしない。 

 なのに、自分たちがしていることは何だ? こいつらが、いったい何をしたんだ? 

 昴は、言いようのない嫌悪感を覚えていた。

 この化け物たちは、人間の都合で創られた生き物。なのに、人間の都合で殺されようとしている。ただ息をしていることが、さも悪いことかのように。 

 キメラたちにしてみればあまりにも自分勝手な行為を、今、自分たちはしようとしている。 

 今更沸いた自覚が、処分の判断を拒否させていた。

 嫌だ。決めたくない。

 昴の一言で、魔王はこの場を殺戮現場にしようとしている。

 

「…………」

「おうおう、悩むなぁ青少年!」

 新人が怖気づいているのを察して、室長はニヤニヤと満足げに頷いた。そうだ、新人はこうでなくてはいけない。

 数年前の話だが、ベレルが部署に入ってきたとき、あの子はまったくもってビビらなかった。むしろ嬉々として、目を輝かせて、キメラの首を落としていた。魔物に怖気づく新人を楽しみにするのは、バスター510の先輩社員の楽しみなのに、本当にあの子は可愛げが全くなかったなぁ。

 閑話休題。フォードは快活な笑い声をあげて、入社六日目の新人に助け舟を出す。

「アラン、そんなイジメんといてぇな。昴くんは、ついこないだまでキメラの存在も信じてなかった、未来ある若人なんやで?」

「だからじゃねぇか。俺がちゃんと教えてやれるときに自力でさせてみるのが、理想の新人研修だろ?」

 すぐさま魔王が言い返し、そのまま少し首をすくめて「ほら、早く」と昴を促す。確かにそれも、言いえて妙。フォードは困り眉のまま「しゃーないなぁ」と頭をかいた。後ろ手でドアを閉め、落ち着いて、安心させるように、新人の肩を押さえる。

 

「昴くん、今、かわいそうやなぁとか思うとるやろ?」

 覗き込んだ灰色の目は、まだまだ澄んでいて。

 あぁ、若いなぁ。心で息をつく。若さは甘さ、そして青さ。それは、いずれ失ってしまう心の鮮度。なんて、ちょっとクサかったやろか。

 

「確かにあれらは、人間の勝手な都合と自己満足だけで創られた哀れな生物やろうなぁ。でも、そう言うたところでしてやれることはあるか? キメラはもう自然界の生物やあらへん。生み出された魔物や。かわいそうやと思うなら、あれらにとって一番ええ進路を、考えてやるんや」

 

 室長は昴と同じ方向を見つめて、「現実的に、理想とか全部切り捨てて、想像してみ」と続けた。

 

「アレとかどうや? きっとイヌとトカゲのキメラとちゃうかな? あーでもクチバシあるから、ちょっと分からんな。まぁええわ。……で、な、あれが世に出たときのことを考えるねん」 

 社会に出た異形の化け物。その扱いについて、脳内でシミュレーションしてみるんや。できるだけ現実的に、具体的にな。

 

 その言葉に従うまま、昴はキメラの未来を憂う。

 山か森に放す、ダメだ絶対に自然の生態系が壊される。キメラ同士が共存するのとはわけが違う。動植物の方が負けて、バランスが崩れるだろう。それでいて人間に見つかったら、結局は殺されるか、もしくは捕獲されてメディアにさらされるか。

 ……ならば、誰かが飼育するとか。いや、いったい誰が? しかもこんな数を? 飼った結果どうなるか、どうやって育てるのかもわからない中で? 飼育費はどこから出るんだ? 専用の民間・公共機関でも設立して対処するような案件になってしまう。

 

「あ、キメラのことだけやったらあかんで。ペットの責任が飼い主に行くように、あれの責任はうちらにくるからな。何も問題あらへんのが一番やけど、処理した後のうちらへのリスクも考えな」

 

 願望だけの偽善を無理に押し通すことはできない。そう室長は付け足す。昴はゆっくりと間を取ってから、顔を上げた。

「それを踏まえて、どうや? あれらに、まともな生き方させてやれそうか?」

 念押しのように尋ねる室長の声は、嫌になるほど優しくて。

 どんな結論を出しても大丈夫だという、根拠のない自信が沸いてしまう。こんな絶望的な判断も、許されるような気がしてしまう。

 とにかく何か言おうと、昴は薄く口を開いた。しかし音にならないか細い声は、自信満々に告げられた助言にかき消される。

 

「とりあえず、放っといたらマズいだろうなって思ったら、殺られる前に、殺れ」

 はっきりと響いた音は、強い強いあの人のもの。吐き捨てるような無慈悲なアドバイスは、短いながらも、力強く身に沁みる。

 

「処理区分の判断なんて、感覚でいい。どうせ数値的な正常さなんて、なんの指標にもならねぇよ。……お前から見て、そのキメラは、生きようとしているか? それとも、ただ息をしているだけか?」

 『生きる』ことすら選べなかった化け物なら、ちゃんと殺してやれ。

 

 そうまとめた魔王は、左手にかかっていた六角形の輪を矛に変形させる。室長もまた、一歩前に出た。二人に守られる形で、昴は改めて部屋を見回す。 

 だいぶ埃でくすんでいるが、子ども部屋というにふさわしいカラフルな色合いが空間を満たしている。飛び跳ねて遊び回っても大丈夫なように、壁に沿ってクッションが並ぶ。入口の向かい側にもう一つ扉が見える。分厚いマットが部屋の一角に積まれ台のようになり、その上に何体かのキメラが鎮座していた。全員が全員、緊張を解かずにいまだこちらを見ている。 

 部屋の中に散らばる化け物たち。サイズも種族もバラバラで、この空間に生き続けている。魔力を主動力に生きるというキメラは、ただの生活だけではエネルギーを使い果てることはない。だがその様相には、生気がないとも感じられた。毎日毎日生き続けるだけの地下の生活に疲れ果てた、生きた屍のような印象も、今度は確かに感じられた。

 

 ごめん、今はまだ、お前たちが生き残る方法を、編み出してやれない。

 昴は、震える頬に力を入れて、口を開く。

 

「……ここにいるのは、……少なくともこの部屋にいるキメラは、」

 息を殺した呼吸音が響く中、聞き取れる声は己だけだった。

 

「すべて、……不良品、です……」

 

 言い切ったその瞬間、黒色のコートと紺色のスーツが閃く。

 的確に首を狩り落とす斧と、すべてを引き裂く矛が、鮮血を散らす。化け物を屠る。

 

「泣くなよ。見えるはずの視覚的情報を遮断することは、怪我と事故の元になる」

「大丈夫やて。昴くんの判断は、間違うてへんよ」

 

 キメラ側も、害を為すのならと敵意をむき出しにし始めた。体の大きなモノがひときわ毛を逆立てて飛びかかり、その爪と牙をむき出しにして襲い掛かる。

 化け物の殺気を受けて、戦いに出る二人が目に光を宿していくのが見えた。異様な相乗効果だった。殺し、殺される緊張感。ギリギリのやり取りにテンションを上げる二人に、キメラを前にしてどちらが化け物なんだろうという疑念を抱く。

「ほら新人! ボサッとすんな!」

「昴くん! お仕事やで!」 

 振り返ることもなく聞こえた鋭い声に、ハッと目が覚めた。

 は、はい! とどもりながら返事を返して、昴は懐に手を入れる。そこにあるのは、使い慣れた己の武器。

 手に馴染む感触にはもちろん覚えがあって、少し安心した。昔から、これ以外の武器はあまり使えない。剣に刀、鎌も槍も弓も銃もダメだった。

 そうして構えた、昴愛用の得物。その使い込まれた柄の部分を、しっかりと握りしめる。

 

 出刃包丁。

 

 …………

「コワッ! え、マジで! 出刃包丁!?」

 割と大きい異形の肉を切り裂き、妙に大きな声を上げたのは、軽い気持ちで振り返ったミラージュ=アラン。

「え?」

「ん? なんや?」

「いやいやいや、なんやじゃなくて! 前から思ってたけど、キメラ対策室の武器怖すぎだろ! おっさんがまき割り用の斧を振り回す図もなかなかだけど、そこに鉈と出刃包丁て! 絵面がひどい。しかもそこにくたびれたスーツが合わさることによって、いつもの仕事を終えて帰ってきたリーマンの父さんが殺人者になってた、みたいな相乗効果を生んで、なおさらひどい!」

「リーマンのくだりは事実とちゃうかな」

「そこはそんな気もしてきた!」

「そこが一番否定したい部分じゃないんですか!?」 

 新人の指摘を耳に入れながら、魔王は足元に突き刺さる爪をはじく。マットに転がったキメラの本体を見下ろし、興味を一切向けないまま蹴り飛ばす。反動で浮いた自分の体を片足で受け止めたと思えば、すぐさま横へ跳ぶ。

 ドン! という音ともに、マットの一部分、先ほどアランがいた位置が崩れていた。マットの下にあったコンクリートすら砕いて、ガレキの山が築かれていた。

 威力が高い…!

 どうしても目に入る魔王の戦闘シーンをさりげなく横目で見ていた昴は、攻撃による被害も、打撃が飛んでくる出どころまでもしっかり確認している。

 

 ……いつの間に。部屋の奥、もう一つあった扉が開いていた。そこから飛んできたエネルギーの塊が、地面をえぐっていた。

「フォード、お前はこの部屋片しといて!」

「アランはー?」

「奥の部屋が開いてる! そっち向かう!」

「了解やー」

 隠す気もなく大声で交わされる指示を、あたふたと見送る。魔王は売られた喧嘩を買うかのように駆け出し、奥の部屋に向かっていた。

 

 その後姿をじっと見ているわけには当然いかず、自分もまた飛びかかってきたキメラの腹をかっさばく。こんな生物でも、ちゃんと背骨と肋骨の構造はあるらしく、いつ通りのやり方できれいに肉と骨が分離した。肉質の分類が難しい謎の肉が床に並ぶ。競りにかけられても絶対に買いたくない。

 そして、昴が何体かの異形を下ろした後。

「昴くんもあっち行っといでー」

 室長は指示を出した。声色には有り余る余裕を乗せている。あっちと示す先は、アランが進んでいった奥の扉だ。

「いいんですか?」

 声に反応して昴は一瞬だけ振り返る。同時に部屋全体を見回し、見るからに少なくなった生体反応に時間の経過を自覚した。ええでー、と再び許可を出す室長の表情は、いつも通りの楽しそうな笑みを浮かべている。

 

「勉強のためやからな。いろいろ見といで。あ、でも辺りには十分注意するようにな!」

 勉強、そう、勉強だ。

「……はい」

 この奥にある嫌な予感が外れることを祈りながら、昴は出刃包丁の血をぬぐう。

 開いたドアから聞こえる声が一人分ではないことに不安を抱きながら、昴は奥の部屋へと走った。

 

 

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