Y.KA.07


「お前は俺を殺しに来たんだろう? 仇も俺ってことにしとけば? それでいいじゃねぇか」

 全力の、思考停止感。
 もう、この男が何を言っているのか分からない。
 さきほど、魔王が殺される理由がないと言ったのは自分ではなかったのか。

 唖然とする私を、エルフと魔王がきょとんと見つめている。
 その視線は、私が疑問に思っていることが疑問なのだと言いたげだった。
 わずかな沈黙ののち、ミラージュ=アランはガシガシと頭をかきつつ、面倒そうに溜息を一つ吐く。

「いや、だから、うーん、質問の回答からにするか」

 あっけらかんと余裕の色を乗せて、気安く軽い口調で次々と出てくる理論と説明が、広間に響いていく。

「『何故エントリシートなんて回りくどいことをするのか』 まぁそれは一応ココが組織として機能してるからってのもあるが、基本は俺が知りたいからだな」

 自分のことのはずなのに、どこか客観的に告げるミラージュ=アラン。

「言ってしまえば、なんでもいい。魔王を倒しに来る理由なんて」

 その魔王の様子を、エルフがニコニコと見つめていた。

「親が殺された、街が滅んだ、晩御飯がまずかった、女の子にフラれた、あることないこと全部魔王の所為にして、俺を倒しに来るがいい。俺はそれを否定しない。ただ、ちょっとした好奇心で聞いてみようと思っただけだ」

 エントリーシートと書かれた紙を一瞥する。そのままなんの反応もなく、用紙が司の手に渡る。

「そして、『勇者と魔王が殺しあうことに理由は必要か』」

 そこで魔王は、一呼吸置いた。ニィ、と音が付きそうなほど口の端を吊り上げ、金の目が笑みの形に歪む。
 あぁ、この顔が、この表情が、魔王が魔王たる理由なんだろう。そう、自然に思わせる程の、狂気の笑み。

「答えは、否」

 今この男は、誰よりもこの空気を楽しんでいた。

「お前もそう思っていたんだろう? 勇者は魔王を倒そうとする、魔王はそれを迎え撃つ、そこに理由なんて、本当はいらない」

 なぁ、そうだろう?

 そう、言い放った瞬間。殴りつけんばかりの殺気が、私を襲う。
 誰から? 決まっている。
 目の前にいる、魔王ミラージュ=アランの視線が、私を射抜く。
 これまで感じていた威圧感ですら、まだ挨拶程度だったのだと、気付かされる。

「重要なのは、結果だ。最後に俺を倒したものだけが、英雄となる」

 さぁ、剣をとれ。そう易々と、倒されてはやらないがな。
 言葉と同時に、黒のコートがぶわりと広がる。正面に見えるコートの裏地は、血のような紅。
 スラリとした体型の魔王だが、武器である矛を横に構えた姿は、見た目以上に大きい。

 いつの間にか、エルフは私たちから距離を取っていた。大理石が光を反射する大広間に、私と魔王が対峙する。

「我が名はミラージュ=アラン」

 本来ならば、戦う理由がないと、私は拒否しなけばならないのだろう。
 親の仇は、この男ではなかった。
 全く関係ない人物と殺し合う、それはもう、勇者の所業ではない。
 そう理論立てて、拒否する。それが正しい“勇者”の在り方なのだろう。

 だが、爛々と好奇に満ちた金の瞳が私をとらえた瞬間に、確かに感じたものは。

「魔王と呼ばれし化け物は、万斛(ばんこく)の力をもって、数多の屍の上に、君臨する!」

 全力の、高揚感。

「私はアルフヘイムのカンナ」

 復讐戦ではなくなったことに、心が解放されたのだろうか。
 それとも、魔王の言うように、理由なんていらないということに、共感しているのだろうか。
 自分の心と、行動が分からない。けれども、確かに自分を動かすのは。

「そうだ、戦うことに、理由などいらない!」

 全力の、戦闘が楽しい、という感覚。

「さぁ、終わりを始めよう」
 魔王の一言が、開戦の合図となる。

 今、戦う理由を放棄させられたとき。
 私に残っているのは、純粋な、戦闘の楽しさと勝利への渇望だけだった。
 そして、そんな野蛮な私を、魔王は肯定した。

「…! っく、」
 魔王の構えた翡翠色の矛が、目の前に迫る。それは剣で捌いたにもかかわらず、余波だけで私を吹き飛ばす。
 受け身をとった私を、ミラージュ=アランは、それはそれは嬉しそうに見ていた。余裕の微笑みとはまた異なった、楽しくて仕様がないと言わんばかりの笑顔。狂ってしまった、化け物の笑み。

「戦うことは楽しい、だから戦う。平和なんてつまらない。その意思が、俺を魔王たらしめる」

 目の前の敵を、打ち負かす。自分の方が強いと、証明する。
 これを“楽しい”と思うことは、野蛮で凶悪だと言われるのかもしれない。
 戦ったこともない者に何がわかる!
 敵は常に自分を殺そうと襲ってきた。相手には恨みのこもった眼で睨まれた。そんな中では、戦闘そのものを楽しまねば、毎日が苦しいだけだったのだ。それでも、楽しいとでも思わなければ、やってこれなかったのだ。

 だが、それを認めたくなかったのも、事実だった。それは勇者にふさわしい感情ではないと、頭のどこかでは解っていた。

「なぁ小さき勇者よ、楽しんでるかい?」

 もし、本物の、本当の“勇者”というものが存在するとしたら。
 そいつは、戦いを辞めるために、戦うのだろう。
 誰よりも戦い、鍛え、傷つき、勝利してなお、“戦闘”そのものを否定しなければいけない。

「私は…っ!」

 もし、私が魔王に勝ち、英雄となったなら。
 誰もが口々に言うのだろう。「これで平和になった」「もう、戦う必要はない」
 今まで鍛えてきた心も体も技術も、用済みだ。こんなに楽しいことを、誰もがするなと言うのだろう。

「勇者なんて、やってられるか…!」

 口に出したが、最後だった。
 魔王の振り上げた足が、腹に当たる。遠心力をも利用して床に叩き付けられた。背骨から内臓に、衝撃が響く。何とか立ち上がろうとするものの、その後反撃に転じる意思が、消えていく。
 そして私のその様子を、魔王は黙って見下ろしていた。

「戦闘が楽しいと思ってしまう私は、戦いがなくなることを恐れる私は、勇者ではない……。そんな勇者が、いるものか…!」

 魔王は反論しなかった。ただ、目を伏せて、呟く。その声色に、心からの同情の色があったことを、私は知らない。
「ならば“勇者”とは、……世界で最も不幸な職業ってことになるな」

 首元に、矛の切っ先が突きつけられた。
 全力の、敗北感。手を抜いた覚えはなかった。万全の状態だったかは分からないが、それでも、持てる力のすべてを出した。
 敗けたのだ。

「……」
「最後の質問に答えよう。『魔王の仕事とはなにか』」

 もう剣を持つ気力もなく、死を待つ私に、魔王は淡々と話しかけた。
 その表情にはもう楽しさは浮かんでおらず、戦闘前の馬鹿にしたような余裕の笑みもなく、顔に「つまらない」と描いている。
 しかし、その澱んだ眼には、いまだ静かな殺気が漂っていた。

「仕事、というからには業務があって収入がなければいけない」

 そのセリフを口に出しながら、唐突に、私から矛の先が離れていく。
 驚き目を見開く私に、魔王は手を差し出した。
 その右手は、握手を求める出し方ではなく、当然ながらそんな間柄ではない。何かを求めるように、手のひらを上向けて差し出した意味を、私は図りかねていた。

「お前の敗北は決定した。はい、財布、回収」

「…は?」

「負けた勇者の法則だよ。あぁ、もう勇者じゃなかったか。だが、勇者じゃないと魔王に挑んじゃいけない、なんてルールはない。だが、敗北すると、所持金が減るって法則はある。つまりは、それが俺らの収入ってこと」

 魔王の仕事の一つ、“自称勇者”退治、だ。
 ミラージュ=アランの上がった口端から、言葉がこぼれるのを、茫然と見ていた。

「ほら、自分で差し出すか、懐探られるかの二択だぞ」
 もう、殺気は感じない。

 私の財布から、お金を全て抜き取り、隣に立つエルフの持つお盆の上に並べていく魔王。

 普通は半額なのでは? そう尋ねた私に、
「なんで俺らがお前の全財産数えて、そのうえで半分戻さなきゃいけないんだよ」
「全部もらった方が手間が少ないですよねぇ」
 と返したのは、財布のほかに金目の物を探る魔王とエルフ。とくに魔王の装飾品鑑定の目は素人ではなかった。慣れすぎだ。
 次いで魔王は、おおよそ聞き逃せない言葉をあっさりと述べていく。

「あ、言っとくけど、銀行に預けてる分も全部もらうから」
「な…! それは犯罪だろう!?」
「なんで魔王が犯罪怖がるんだよ。というか、この街の法律じゃぁ『魔王本人が、勇者のカードと同意書をもって銀行に来た場合にのみ、預金を全部引き出せる』ってあるんだけど」
「そんな…! いや、待て、私は同意書なんて……」

 慌てて待ったをかけた私は、その瞬間に、気づいてしまった。

「まさか!」
「あぁ、個人情報取り扱いその他もろもろ、の同意書だからな」

 驚く私に、ニヤニヤと口端を吊り上げ、魔王がみことを呼ぶ。
 これなのだ、と言いながら推定150センチメートルが持ってきたエントリーシート。その裏側、項目の、一番下。

『私は「義」の条例に従い、魔王に敗北した際の財産権利譲渡に同意します。尚、本条の複写も本状と同じ効果があると認めます』

 最初から思っていたことだったが、対応と用意が、周到すぎる。
 見慣れた自分のサインが、こんなに恨めしいことがあっただろうか。

「またのご来城をお待ちしております」
 笑顔で言う司には、最初と同じく敵意などなかった。
 私の戦闘意識がないのを確認し、ミラージュ=アランは「今後ともごひいきにー」などと言いながら階段を上がっていく。

「……殺さないのか?」
 私がまだ目の前に残るエルフにそう尋ねたのも道理だろう。魔王に負けた勇者は死ぬ、それが一般論だ。
 むしろ、いっそ殺せとも思った。私の手に残ったものは少ない。目標も、夢も、資格も、お金も、居場所も、もう何もない。これからへの不安が、考えれば考えるほどに絶望へと変わっていく。

「そんなことをしたら、僕らの収入源が減っちゃうじゃないですか」
「今度はもうちょっとお金貯めてから来るのだ」

 私は、まんまと絶望を与えられてしまったのだ。
 魔王、という職業に就く男。ミラージュ=アランによって。

「では、帰りは送りましょう。大丈夫、目が覚めたら“教会”ですよ」
「また来るといいのだ」

 一方的な別れ文句に、何一つ返すこともできず。最後に見えたのは、淡い銀の髪と、深緑のフード。
 私の記憶は、そこで途切れることになる。

***

「……ここは…?」

 起きてからわかったことだが、首筋に痛みが残る。どうやら気を失っていたようだ。
 場所がどこかはわからないが、少なくとももう魔王城ではなかった。

 送る、とは“連れていく”という意味ではなく、文字通り“私の体を運ぶ”という意味だったらしい。乱雑に置かれた荷物を見渡し、これらの扱いと自分の肉体の扱いに差がなかったことに内心で文句を言いつつ、納得する。魔王はそういう人物だった。
 部屋に入ってくる光は人工のもの。風はない。気温も変化に乏しい様子が感じられる。あれから、どれほどの時間が経ったのか想像がつかなかった。

 薄暗い洋風の部屋。黒々とした石の床。私を見下ろすステンドグラスの光が、責めるように降り注ぐ。
 残された喪失感。不意に訪れる落ち着いたひととき。今日が始まってからの怒涛の展開に、頭が追い付いていない。

 ここは、どこだ。何のためにこんなことを。司のいう“教会”とはこの場所のことか…?
 考えたところで、答えなんて出ない。穴だらけの結論にけりをつけ、とりあえずは立ち上がる。

 そんな時に、ソレは、見上げた私の目に飛び込んできた。

「……そういうことか」

 これは、おそらく、と前置きする私の想像だが、魔王側の体裁としても、勇者を生きた……起きた状態で帰らすのはまずかったのではないかと思う。
 「魔王に挑み、生きて戻った」などと噂が立てば、それを魔王の甘さととらえ、軽んじる輩が出てくるかもしれない。だから、魔王側は、敗れた勇者を眠らせた状態で、死体として処理する。

 この部屋は、この空間は、そうやって倒した勇者を捨てる場所であり、ひっそりと帰らせるためのものなのだろう。
 この看板は、このセリフは、手間をかけさせた勇者に対する魔王の恨み言であり、魔王からの挑発なのだろう。

 悔しい。
 諦めたのは私だったというのに。こうまでされると、悔しくてたまらない。
 次こそは……。

 もうあの場所にはいかないと思っていた私に、再戦を決意させる。
 黒い大きな看板が私を見下ろした。そして、白で書かれた文字が、勇者ではない私を、見送った。

『おお勇者よ! 負けてしまうとは、ふがいない!』

 


業務その1『魔王様のお仕事』 完

Column

 

【アラン】 

世間一般で言うところの、魔王。

イラスト:おふるさん@ofuru_c


【司】 世間一般でいうところの、魔王の手下。

【カンナ】 世間一般でいうところの、激情家。

【みこと】 世間一般でいうところの、チビ。



読んだよ!