組織ヴィランズ。
魔王城を拠点とし、ミラージュ=アランを頭首に据えた、就業と生活一体型の組織である。メンバーたちは一般的に、魔王軍と呼ばれる。
拠点があるのは東大陸の大都市「義」の街。その中で魔王城は、観光の名所として街の中央にそびえ立っていた。
外から城内部は見えないが、外の様子は中からよく見える。
特殊加工を施した窓から観光ツアーの一団を見下ろして、アランは独り言のように話し始めた。
「魔王ってのは通称だ。名乗るだけなら誰でも出来るからな」
セリフが自分に言われているのだと分かって、隣に佇むみことがハッと顔を上げる。
目を白黒させる少年に対して、アランの表情はいやに落ち着いていた。
「世間でそう呼ばれて、初めて箔が付く。そういうもんだろ?」
みことが魔王城に来てからひと月たった。
その間、浴場や食堂の使い方、与えられた部屋と服の管理の仕方などを司によって叩き込まれ、生活に半ば無理やり慣らされ、必死さはなかったが緊張した毎日だったと、みことは思っている。
そして現在、しばらく音沙汰ないと思っていた「ともだち」であるはずのアランに、いきなり呼び出されての、コレだ。みことはソファへ促され、反応のタイミングを逃す。言葉にならない言葉が口に残る。頭をぐるぐる回るのは、同意を求める疑問文。
執務室と呼ばれている部屋を見回す。初めて足を踏み入れたその部屋は、大量の書類に埋め尽くされていた。
魔王と、名乗る。魔王と、呼ばれる。
“魔王”という単語が、ミラージュ=アランを示すというのは、なんとなく聞いていたけれど。
みことはいまいち信じていなかった。
この一か月で見かけたアランの姿は、常にプリントの対処に追われているだけ。みことの耳には「忙しい忙しい」のセリフしか届いていない。今日も瞼に隈が見える。これでは魔王というよりも、ただのブラック企業ではないか。
暗黒というところに共通点があるな。やかましいわ。
「でもアランは、魔王っぽく見えないのだ」
格好にしたってそうだ。
まったく参考にならないみことのファッションチェックによると、今日のアランは「すぱげってい」と書いたTシャツに、いつもの黒のコート、黒の首輪からは金の鎖が滴りベルトにつながるという、言ってみればいつもと変わらない格好だった。
いかつい鎧も、まがまがしい異形の証も、マントすらそこにはない。自分のツノを思い出し、自分の方が魔王っぽいんじゃないかとすら思う。
みことの率直な感想に、対面する青年はクツクツと笑った。喉の奥から湧き出た意味深な笑みは、魔王というより悪魔寄りだ。
すぅ、と細まった目がほうじ茶色を捉える。
「じゃあ、魔王っぽさって何?」
楽しそうに、アランは問うた。言いながら、戸棚に向かう。
取り出したのは、漆黒のコートに相反する、白のティーポット。
みことは言葉に詰まる。
「え、……世界を征服してやるぞーとか、人間を支配してやるーとか…?」
「それを目標にして、計画を練り、実現に向かって日々努力してたら、魔王?」
「なんかそれも、魔王っぽくはないのだ……。でも、うーん、そういうことになるのだ?」
みことは大して頭が良いわけではない。
目覚めたばかりの脳は根本的に知識が足りておらず、知らないがゆえに考察の幅が少ない。
しかし、つたないなりに必死で考え、言葉を探す。
自分で考えることもせず、他人の意思を鵜呑みにして動く人形ならば、必要ない。
アランと司がそれぞれの言葉で伝えた“条件”は、まさにこのこと。
そうだ、それでいい。この世界の魔王は口角を吊り上げ、言葉を紡ぐ。
「世界の破滅を、望むだけならそれこそ誰でも出来る。ほんの出来心で、息をするように破滅を願う者もたくさんいるだろう。だが、そいつらは“魔王”にはなれない。なぜなら、」
ティーポットから赤茶色の液体が流れ出ていた。
視線の先には2つの器があり、白い陶器が染まると同時に、紅茶の良い香りが立ち昇る。
若輩者の少年は、その様子を眺めることしかできなかった。
「実現不可能だからだ」
その言葉を引き金に、空気が重くなる。深刻、という意味ではない。文字通り、重く。
腕に圧がかかり、動かしづらい。存在しない心臓を、わしづかみにされるような感覚。体が硬直する。
四肢や眼が動かないことに反比例して、感覚はよく働いていた。泡立つ肌が結論を出す。
つまり、目の前の男には出来るということ。
それだけのエネルギーが、本当にあるということ。
物語の終焉で待ち受ける魔王が存在するということ。
目の前にいるのは、世界の終わりを決めることができる、唯一の存在であるということ。
圧倒的な存在感。異常なほどの禍々しい魔力。ニィと笑う黄金の瞳が、確信をもたらす。
だが、それでも、みことはアランを恐ろしいとは思えなかった。
恐怖を感じるには、みことはアランを知りすぎていた。
普段忙しいと言いながらも、ほかのメンバーには無理をさせずに休ませていることも。甘いものが好きで、おやつの時間には絶対食べにくることも。出会わなかったひと月の間、陰でみことの様子を司に訊いていたことも。
みことは、もう知っている。
日常で見るアランの姿は、
「それでも、魔王なんかじゃないのだ」
「……」
魔王の、絶対条件。
その役職が、全うできるか否か。
務めを果たすことが出来れば、魔王になるのだろうか。
出来るから、するものなのか。“魔王”ってそういうものなのか。
みことには、まるで目の前の男が、魔王を『させられている』ような、そんな気がした。
運命やら、宿命やら、はたまた“神”か、そんな名称はどうでもよくて。ただ、「見えない何か」によって、魔王をさせられているような、違和感があった。
アランが世界を本当に滅ぼすことができるのか。その能力も、実力も、みことはまだ、知らない。
しかし、たとえどんな破滅の力を持っていても、アランが魔王に『ならなければいけない』理由など、あるはずがない。
「アランは、みことの『ともだち』なのだ。ともだちが、悪い奴のわけがないのだ…!」
「……」
非難するかのように、懇願するかのように、みことは叫ぶ。
早く肯定してほしかった。なりたくて魔王をしているわけではないと、言ってほしかった。
テーブル上の赤茶色の液体が不安に揺れる。茶葉が異なるみことの瞳も、また。
「……言っとくけど、」
魔王は口を開いた。
食器棚とは違う別の棚から、昨晩司が焼いたクッキーを出しながら。
ゆっくりと、何でもないことのように。
「俺は、世界が、嫌いだ。人間も」
「え……」
みことの体から、力が抜ける。思考回路も、ショート寸前、どころではなく、ショートした。
ざらざらと皿に広げられ、一つ差し出された小麦粉と砂糖の塊。口の中でほろほろと崩れていく。悔しいかな、文句なしに美味い。惜しむらくは、みことが『これまでに食べた中で』と形容しても、食べた覚えが少なすぎて参考にならないことか。
「ん、美味い」と頷いて、魔王は再び言葉を紡ぐ。
すらすらと、そう考えていることが、当たり前かのように。
「自分のよく知る、名前の付いた第三者って意味の他人ならともかく、種族としてみた場合の人類ってやつは総じて嫌いだ。まぁ、征服したいとかは思わないんだけどな。征服して支配しちまったら、嫌いな人間と四六時中かかわって、嫌いな人間を管理しなきゃいけない。そんなのバカらしいだろ」
明るく冷たい目をしていた。
……あぁ、でも、世界を滅ぼすのは、いつかしていいかな。
用意されたような自然さで、静かに笑って、アランは告げる。
みことの考えなど、見透かしたように。絶望的な、処刑の合図を。
「これは、まぎれもなく、俺の意思」
奥深くで輝く、強い目をしていた。
「人は俺を魔王と呼ぶ。それはもう、一種の期待だ。世界は俺に魔王であってほしいのさ」
余裕。
「その期待に、応えてやろうじゃないか」
自信。
「幸いなことに、能力も意志もある。あとは実現可能か、否か。……証明するのは、俺自身」
確信。
「俺は“魔王”と呼ばれた。ならば、“魔王”で居続ける。それが王たるものの務めで、俺の意志だ」
自分への、と形容できるすべての表情を、アランは持っていた。
「やりたくてやってるんだ。世界は、魔王である俺を無視できなくなる。光栄なことだろう?」
ぞぞ、とおぞましい空気が満ちる。
「……それに、俺の望みもまた、無関係ではない」
その中心で笑みを浮かべる、ミラージュ=アラン。
「俺はこの組織で、俺の望みを叶える。自分の力で」
みことは、何も言葉を返すことができなかった。
アランの見た目は、言っても、みことと年齢がそう離れているようには見えない。幼いとは形容できないが、それでも十分若いだろう。
成人して数年経たぐらいの、人生の酸いも甘いも、とは到底いかない外見。
その肉体に宿る、途方のない思考と野望。
記憶が足りないみことには想像でしかないが、およそ『ふつう』ではないのだろう。なんとなく、そう思った。
その考えにたどり着き、覚悟を決めるまでに、どれほどの苦渋と絶望と理解と決意を、舐めて味わって飲み込んだのだろう。
口の中で、クッキーが崩れ溶けていく。
どろどろになった小麦粉とともに、あきらめがのどを通っていく。
「……本当に、つらく、ないのだ?」
ダメ押しのように、呟いた。
ティーカップに残る赤い紅茶は、とっくに冷め切っている。砂糖は3つ入れた。ざらざらと粒がたまる。クッキーはもうなかった。全部食べられていた。
アランは、重苦しい魔力あふれる空間内を、フットワーク軽く立ち歩く。
「俺は自分の生き方を自分で決めた。これ以上に幸せなことが、存在するはずがない」
お菓子の追加を探して戸棚を漁りながら言う様子は、無理をしているようにはまったく見えなくて。
すべて納得して、受け入れて、決めたのだ。そう、思わされる。
「お前はお前の生き方を見つけろ。なんとなくで生きることは、許さない。俺を追いかけて、早く大人になりな」
言い負かそうなんて、100年早い。
悔しかった。
勝てないことが、じゃない。
「ともだち」なのに、役に立たない自分が。
破滅に向かおうとしている「ともだち」を、止められないことが。
ただただ、悔しかった。
「みことは、子供じゃないのだ」
精一杯の文句、否、口答えだった。それしか言い返せない自分を、なによりも子供だと思った。
分かっていたけれど、理論も説得力も、アランの方が上で、それも少し大人びたどころではなくて。
とっぷりと日が暮れていく。窓から入る夕日が、二人の顔に射す。
アランは、言い聞かせるように言う。もうおやつの時間は終わったようで、デスクの一番上にあった書類に、目を滑らせながら。
「なにがしたいか、そのためにどう動くのか、判断できるようになれ」
自分で考えて、自分で判断する。そしてそのすべての責任を自分で負う。
「それが出来るようになるまでは、子供だ。そんで、出来るようになるまでは、この組織にいればいい」
魔王が魔王と呼ばれる理由を、みことは今思い知っていた。話す内容よりも、なによりも、研ぎ澄まされた金の目が、その覚悟と決意を伝える。魔王になるべくして、なったのだ。そう思わざるを得なかった。
一方で、アランが世界を滅ぼしたがっているようには、やはり見えなかった。その力がある、というだけで。アランは魔王になることを「光栄だ」と言った。しかし、魔王になれば勇者が殺しにやってくる、ということはみことも知っている。
「『ともだち』が魔王じゃぁ、役不足か?」
クスクス笑って言う役不足は、正しい意味でもそうでなくても、アランらしかった。
ちなみにどちらの意味も、みことの頭にはない。
尋ねることもできたが、さすがに空気を読んだ。
みことは、空気が読めた。
そして、みことは決めた。
影響ならいくらでも受けているだろう。でも、自分の意志で、決めた。
「みことは、アランの部下にはならないのだ」
アランは書類から視線を外し、一度だけちらりとこちらを見て、口元に笑みを描く。
「そう」
「……たとえ喧嘩しても、間違ってても、魔王でも、みことはアランの『ともだち』なのだ。だから、魔王の部下にはならない。みことはは、ともだちに世界を破壊させないし、ともだちを世界に殺させもしないのだ」
それが、みことの意思だった。
魔王と呼ばれる、組織の頭首。
ミラージュ=アランは、最初に出会った人物として圧倒的なほど『出来すぎ』ていた。
見た目の年齢にそぐわない覚悟と意志。
淡々と説明する魔王の覚悟は、一朝一夕で考え付いたものとは思えない。
負けたくなかった。
「ともだち」として、ずっと肩を並べたかった。対等でいたかった。
それすらも、アランは読み取っていたけど。
「それは、楽しみだな」
よろしく、みこと。と続けたアランは、やはり大人っぽくて。否、大人の姿で。
やっぱり、悔しかった。
しん、と沈黙が落ちる。だが、気まずいものではない。お互いが納得し、受け入れている落ち着いた一呼吸。その時間は、異様なほど長く、あっさりと短く、感じられた。
「あ、そんで、お前をここに呼んだ理由なんだけど」
急にアランが話を変える。口調も明るいものへと様変わりし、部屋を充満していた魔力が鳴りを潜めた。
その所為で余韻すらどこかへ行く。
「……え、今の話じゃないのだ?」
「あー、違う違う。今の話は、ついで。もしくは時間稼ぎ」
「は!? 時間稼ぎ!?」
ドン! という破裂音に、みことの金属の心臓が大きく跳ねる。
執務室の扉が、突如開いた。勢いよく、ノックもなしに。
「ちょっとアラン! あたしの監視役ってなにさ!」
そこにいたのは、布と肌の比率がいろいろおかしい女。
赤い。あと、腕見えすぎ。脚見えすぎ。それと見たことがないほどの、豊満な……。
見てはいけないものを、見てしまった気がする。
「こいつはツナミ。うちの、監視が必要な問題児筆頭。というわけで、ツナミ、後は頼んだ」
アランはあっさりとそう言って、ニヤリと笑った。この人物を待っていたらしい。セリフの前半はみことに、後半は女へ向けての内容だった。
目の前の赤い女が、なにか言いたげな目を向ける。見据えるような視線が、みことを貫く。そうしてたっぷりの間を置いてから、赤い唇が一言吐き捨てた。
「子供は趣味じゃないわ」
「ツナミ、そこじゃねぇよ」
即座に反応できるアランをまた、みことは月並みな感想として「すごい」と思ったのだった。
業務その2『新人採用と研修』 完
【ヴィランズ】
世界規模有数の組織。頭首はミラージュ=アラン。この時はまだメンバーも少ない。城は割と広い。
【アラン】
組織頭首にして、この世界の魔王。甘いもの大好き。
イラスト:おふるさん@ofuru_c
【みこと】
重要な情報以外の知識は、割とある。でも、むつかしいことはわかんないのだ。
イラスト:aoiさん@aoinoatelier