Y.WA.11

アランの頭に、ふと、あの組織にいた頃の記憶がよみがえった。

 脳裏をかすめる、深刻そうな顔のふざけた上司。そういえば、女の扱いについてはあの人も何かと苦労していた。

 そうして浮かび上がる、数年前の会話。あの人が身をもって教えた、経験則。


『カラスちゃん、女性ってのはね、……寄せて上げて奈落につき落とすんだよ』


 が、だからといってなんの役にも立たなかった。

「……女に関わるとろくなことがない、って部分だけは認めてやるよ」

 思い出に対し呆れたようにつぶやいて、アランはひとまず地面を蹴る。身を浮かした着地先、階段の手すりに足を乗せる。そして階段の中腹、真ん中よりも上の位置から一階の様子を見下ろした。


 あのバラは、ダメだ。様相を変えた魔力の花は、美しくもおぞましい。

 もはや先ほどまでの明かりのバラではなかった。


 しゃん、という鈴の音。

 ツナミの体がばさりと回転し、茜色の髪、満開の薔薇を振り回す。

 鈴のリズムに合わせて花弁が舞い上がり、幻想的な空間が出来上がる。


 それは舞だった。花と炎の赤絨毯を、緑と白の腕が操る。舞が美しさを増すごとに、魔力が熱となり、光となり、魔法となって周囲に襲い掛かる。


「アランさん、どうします?」

 いつの間に上がっていたのか、司は階上、二階の廊下からアランに話しかけた。困り気味な声を上げつつも、表情は笑みの形に固定されている。


「まずはバラだな。床に咲いてるヤツ。アレをどうにかしねぇと、城がまずい」

「あの花は、なんなんです?」

「炎系の魔法っぽい。花の形をした炎。炎の本質は、侵食。この空間を乗っ取るつもりらしい」


 ツナミの魔法は、大広間を埋め尽くすよう広がっていた。

 アランと司の位置などお構いなしに、バラの蔓が空間を覆う。床を占め、壁を這っていく。花人が立っている足元からは巨大な枝と蔓がひしめき合って成長し、ツナミの体を持ち上げていた。


 それは舞台だった。

 光はスポットライト。シャラシャラと金具を揺らし踊るツナミとその影だけが、石のスクリーンに動きを灯す。彼女だけのワンマンステージ。


 火炎が肌を焼き、火煙が鼻を刺し、花園(かえん)に目がくらむ。


「……綺麗ですねぇ」

「まぁ、悠長に言ってる場合じゃないんだけどな」

「彼女は一体どうしたんです?」

「……感情が強すぎて抑えきれなくなってんだろ。奴の砂縛が何かは知らんが」

「起爆するようなこと、僕ら何か言いましたかね?」

「最初から言ってたじゃねぇか。『殺せ』って。やばいのは自覚済みだったってことだな」

「なるほど……」


 言っている間にも、石の壁伝う蕾は首もたげて花開く。

 対処に時間がかかればかかる程、こちらが不利になるのは目に見えていた。戦闘において、主導権を握るは勝利に結ぶ。直接的な攻撃ではないにしろ、放っておくわけにはいかなかった。


 次々と燃えていく城の備品。連日処理に困っていたアレやコレ。ゴミとして無残に放置されたシャンデリアだったものが、ガラスのくせに無残にも灰になっていく。


「なんにせよ、床だな。消火しないと」

 一階の大広間。その中央を抑えた花人から目をそらすことなく、魔王ミラージュ=アランは告げた。あっさりと、出来るのが当たり前かのような口調で。


「では、お花に水をあげましょう」

 司もまた、分厚い表紙の『預言書』を片手に抱え直し、楽しそうに言う。こちらも同じく、出来ないなどとは一切思っていない口調だった。


「水を撒いて花を枯らす、なんて、ちょっと面白いですね」

 エルフの指先に、水の塊が集まっていく。水は形を持たず、ブクブクと気泡を立てて、ぶくぶくと膨張していく。束ねて、大きくなって、最後に別れる。そうして数を増した水の塊を、司は満足げに眺めた。


 宙に浮かぶいくつもの水泡に、ほのかに輝く満月が映り込む。一斉に同じ顔をした透明な珠の一つが、ふわふわと指に渡り、ひときわ体積を増す。

「では、行ってきますね」


 エルフは、水を操る。

 ぷかぷかと空中に浮かぶ巨大な水泡に腰を下ろし、司の体もまた浮かび上がった。

 灼熱の海に炙られながら、大量の泡を引き連れた司がツナミを遠目に仰ぎ見る。

 花人とエルフ、双方の視線が交わる。そしてまったく同じタイミングで、嗤った。


「火には水を、なんて安直すぎて笑ってしまうわ」


 透き通った声が、舞に乗せて歌うように響く。

 ツナミの魔法は舞とともに持続して威力を増す。魔女の業火にかかれば、水の塊もみるみるうちに蒸発していった。あたり一面が焼け野原に、否、焼けバラ園へと変わっていく。


 炎の本質は、畏怖。

 古来より火を恐れるか否かが、動物と人とを隔てる基準となった。直接的な熱も痛みも、間接的な閉塞感と緊張感も、すべては火焔への本能的な畏怖へと結びつく。

 舞はもうすぐフィナーレを迎える。最高潮に燃え上がった炎が、最高の感動とともに襲い掛かる。


 あたしを畏れ、敬いなさい。

 ツナミが得意げに腕を振り上げた、瞬間。


「そうでしょうか。慣例にはやはり、そうあるにふさわしいだけの力と納得があると思いますよ」


 ぶわり。

 吹きすさぶ圧力と、ぬるまった湿気が、緑色の皮膚を撫ぜる。

「…っ!?」

 一瞬の、雨のにおい。


 轟音。


 咆哮を挙げて、豪雨が花人の女に降り注ぐ。

 火力など嘲笑うような大粒の滴が、息つく間もなく真上から叩き付けられる。

 線香花火ほどの存在すらも許さない水が、酸素の供給を一気に断つ。


 みるみるうちに、赤く美しかったバラ園が消えていく。あれだけ城にはびこっていた蔓が、一瞬にして亡きものになる。


「本日は所により大粒の雨が降るでしょう。……花園(かえん)への影響にご注意くださいな」


 司の柔らかい一言すらも掻き消し、痛みを伴うほどの雨粒。ツナミもまた顔を上げていられない。動くこともままならない。声すらも聞こえない。ただじっと耐えるだけだった。


「……分かってはいたが、えげつねぇなぁ」

 階段の手すりの上から、目の前の光景を見下ろしてアランは「あーあ」と呟いた。

 飛沫が足元に飛び散る。タイトなズボンの裾を濡らす。無色透明な液体が、服に濃い染みを作った。


 おそらくただの雨ならば、たとえ豪雨だとしても女の脅威ではなかったのだろう。

 ……しかし、この水は違う。操っているのは戦闘の天才といわれたエルフ、司だった。


 柔らかい物腰とモノクルの奥に潜む微笑みに隠れて、司のやり口はいつも力任せで容赦がない。強引かつ強大な力をもって、相手を圧倒する。

 悲しいかな、司にはそれが出来るだけの力が備わっていた。

 ツナミがバラを咲かせ空間を支配する以上の力で、司は無理やり主導権を奪った。無情にも一瞬で、非情にもすべてを、圧巻の力で主役を、奪ってしまった。

 本来ならば植物を生かすはずの命の水は、炎を消し逝く除草剤となり果てる。


 ……やっぱり、することがえげつねぇなぁ。

 アランは内心でもう一度繰り返す。惨劇を生む戦い方は惚れ惚れするほど魔王っぽい。何度見ても参考になるなぁ、なんて思いながら、アランは斜めに滑り落ちそうな足場を蹴った。


 降り出したのが一瞬であれば、止むのもまた一瞬だった。すべてを掻き消していた雨音が消え、消されていた雑音、ツナミの荒い息遣いが耳に戻ってくる。

 大理石の床、透明な水たまりが月明かりを反射するのを確認し、司はうんと一つ頷いた。にっこりと空を見上げる。


「灯りが消えてしまいましたね。でも、ほら、今日は月がきれいですよ」

「…………」

 静寂。

 月明かりが、二人を照らす。

 ツナミの頬を、一筋の水滴が、つぅ、と落ちていった。

 ツナミは、濡れた体を持ち上げる。その眼は、まだ死んでいない。

 カッ、とピンヒールが大理石を鳴らす。その足元から、再び赤い芽が顔を出そうとしていた。


 花の一つ一つが、照明であり攻撃魔法であり魔力の増幅器だった。そして何よりも、火炎そのものだった。炎はたとえ弱まっても、魔力を与えれば容易に勢いを取り戻す。

 だから、もう一度。

 再演の幕を上げろ。

 ツナミはずぶ濡れのショールを握りしめる。空間を支配するということは、主導権を握るということ。そして主導権を得た者を、人は《主役》と呼ぶ。


 このステージの主役は、あたしだ…!


 気の強そうな目が、キッと鋭さを増した。片足のかかとを後ろに下げ、重心を下げる。そして飛び跳ねるように距離をとった。

 しゃん。本日二回目、始動の鈴が響く。耳心地よい金属音を合図に、中断した舞の続きが、今。


「あたしの炎は……」


「はいストップ。第一幕が終わったなら、休憩を挟むものだろ?」

 始まらなかった。

 ツナミの動きが止まる。不意に視界を埋める「いわし」の文字。黒色のコートが一瞬で距離を詰め、人差し指を突き付けながら赤色の薔薇に立ちはだかっていた。


「幕間には余興がつきもの。なぁ司」

 人差し指を立てるだけでツナミの動きを制し、振り返りながらエルフに呼びかけるは、ミラージュ=アラン。

「アランさん、今の今まで見物してたんですか?」

「俺、焦げるのも濡れるのも嫌いだし」

 アランの斜め後ろに、司が控える。ゆったりと腰を掛ける水の塊に、青白い月の光が反射する。

 何を言い出すのかと警戒するツナミを、対する二人が余裕の表情で迎える。奇しくもその表情は、ツナミがこの城に入ってきた瞬間と完全に逆の構図を描いていた。


 椅子も座布団もない床。埃立つガレキだらけの床。

「さて、そろそろ質問に答えてもらおうか」

 今にも崩れそうな白の内壁。未だガレキが残る城の広場。

「突然やってきていきなり襲われたんですから、ちゃんと説明してもらわないと」

 暗闇の城内。沈黙の宴会。

 カチン、と三人の視線が交じり合う。

 魔王が、問う。


「さぁ、お前の《砂縛》はなんだ?」

 楽しげな金の瞳が、ニィ、と歪んだ。


 感情とは、すなわち欲求である。そして欲求は、発散を必要とする。

 《花の砂縛》

 感情を常に持ち続けるという花人に課せられた義務。それは感情から引き起こされる欲求を、何らかの形で発散し、そのあとに新たな感情を生み出すというサイクルを示す。

 つまり、感情がなくなって枯れて死ぬという事態は、新しい砂縛の感情を生み出せない状態だといえた。

 ならば、感情の吐き出し口すらないツナミの現状は、一体何と表現すればいいのだろう。


「さっきははぐらかされたが、もう一度尋ねよう。お前をここにつれ来た『あの人』ってのは誰だ? そいつは今どうしている? 何を言われてここに来た?」


 アランは落ち着いた口調ながらも、矢継ぎ早に尋ねる。

 思えば、最初からヒントはあった。ツナミが暴走している理由、ここに来た理由、今こんなことになっている理由、そもそもの原因にある「あの人」の存在。

 ツナミの砂縛が何かは知らないが、その人物が関わっている可能性は大きかった。でなければ、今日このタイミングで女が魔王城に来る説明が出来ない。

 その人物と、ツナミの砂縛、少なくともそれがわからないことには、ツナミを殺す理由がない。まさかここまで来てただの自殺志願者というわけでもないだろう。


「……あの人、って言われて、まだ分からないの?」

 ツナミは、小刻みに震える体を押さえつけてそう返す。言葉には非難の意が込められ、口調は信じられないかのように冷たい。……あんたの方があの人を良く知ってるわよ、なんて言いながら、ツナミの頭には、あの人の最後のセリフが浮かんでいた。


『ガーディアンがもし無くなったら、そのちょうど一年後に魔王が動くと思うよ。ばっちりこの場所で。あの子はそういう子だからね。……嘘だけど』


 何を考えてるのか分からない人だった。でも、いつも穏やかに笑っていた唇からは、常に本気が見えていた。

 ツナミは苦しそうに声を出す。

「あの人はあたしにだけ教えてくれたわ。特ダネだよ、って言いながらね」


『面白いだろう? 世界に魔王が現れるんだ。きっと、みんなが生き生きするような、とっても楽しい毎日が始まるんだろうね。レディローズ、その瞬間を、逃しちゃいけないよ? きっと、魔王様が何とかしてくれるさ』


「その時は、まさかそんな日が来るなんて思ってなかったけども。でも、……本当だった」

 最期には会えなかった。会わしてももらえなかった。きっと、あの人にとって自分はそれぐらいの存在でしかなかったのだろう。でも、それでよかった。それ以上の関係を望んではいけなかった。

 だが、それでも。


 ……好きだった。


 恩人でもあり、憧れでもあり、届かないからこそ欲した部分もあるだろう。優しげな眼で頭を撫でられた。「綺麗に咲いてるね」なんて、あの人だけが自分を褒めてくれた。

 でも、やはり、好きになることに理由など、厳密には存在しない。

 振り向いてほしい、付き合ってほしい、結婚してほしい、そんなことは考えなかった。好きだということを知ってほしいとすら、夢にも思わなかった。

 ただ、あたしが好きでいた。それだけだ。


 あの人がいなくなってからも、当分の間はまだ「好き」でいられたから、ツナミは平気だった。自分は一生、いないあの人に恋し続ければ、それでよかった。

 だが、人は変わる。記憶は、時間とともに薄れていく。

 あの人が好きだった紅茶の味は? あの人が聞いていた音楽は? あの人の戦い方は? 好きな戦法は? 話し方、仕草、口癖、あの時かけてもらった言葉。ずっと見ていたはずのあの人の記憶が、ゆっくりゆっくりと消えていく。


 それに気づいた瞬間、ツナミはぞっと恐怖を覚えた。

 すがるように思い出した記憶と、もう会えないという事実が、悲しさ、悔しさ、愛しさと虚しさ、様々な感情になって大波に荒れた。

 忘れたくないのに、どんな姿もまた大事なものなのに、頭の中からどんどん失われていく。


 好きでいなければいけない。ずっと好きでいたい。

 その感情が、あふれんばかりの魔力を生む。

 ツナミの制御が効かないまでに。


「あたしはただ、あの人が好きだっただけ。優しくて大きい、みんなのヲじさま」


 ツナミは、静かに述べる。

 ツナミが愛し、ツナミをここに招いた男。

 巨大機関ガーディアンの頭首にして、最後の『英雄』。世界平和の象徴。人々の指標であり、精神の支えだった。世界を救い、世界を守り、世界の平穏を約束する。誰よりも世界を愛したその人物を、世界もまた愛していた。

 その人物こそ。


「ヲリヴィヱ・ヨトゥンヘイム」


「……って、おっさんかよ!」

「いろんなところで問題を起こす人ですねぇ」

 アランの元上司だった。

 なんかそんな気もしてたけど……とアランは呆れたように漏らす。アランの記憶に残るあの人も、ツナミの言うあの人も、同じ人物だった。


「あたしの《砂縛》は、恋。燃えるような情熱的な感情が、あたしを支える」


 バラの花人は自信に満ちた口調で、しかし目は寂しそうに、そう明かす。

「好きなだけなの。あたしが勝手に好きでいたいだけ。でも、この炎は治まらない。だから、どうしようかと思って。……わずかな可能性と、あの人が言ったからっていう惰性で、あたしはここまで来た」


 そこまでを聞いて、アランは理解する。

 なぜツナミが暴走したのか。砂縛である恋の対象がもう存在せず、感情の制御が効かなかったから。なぜこの場所でなければならなかったのか。おっさんの遺言にあったから。ツナミが何をしに来たのか。……魔王にして、部下である俺に、後始末を頼んだのだ。あのおっさんは。


「……あんたに何ができるって期待してるわけじゃない。感情は個人的なもの。簡単には消えない以上に、簡単に消せない。助けてほしい、なんて言わないわ。けど、もし、あたしがこの世界ごと燃やしてしまうなんてことになったら、その前にちゃんと殺してくれる人が必要でしょう?」


 ねぇカラスちゃん。放っといたら、彼女、炎で世界ともども自分まで焼き付くしちゃいそうなんだよ。だから、助けてやってくれないかな? カラスちゃんなら、出来るよね?


 生きていたら、しれっと言いそうな元上司の脳内セリフに、ツナミの告白が重なる。

「悔しいけど、自分じゃどうにもできなかった。あんたが本当に魔王なら、あたしをちゃんと殺せるでしょう?」


「…………」

 事情は分かった。アランは据わった目で前方を見つめる。

 突然の襲撃に対しても納得がいった。すべてヲリヴィヱが厄介ごとの種をまいていたのだ。そうだ、全部おっさんが悪い。報告・連絡・相談もなしに引き継ぎもせず仕事を置いていったおっさんが悪い。

 しかし、アランが言いたいのはそこではなく。

 はっ、と鼻で笑って、アランは腰に片手を当てた。


「なんだお前、初恋こじらせてるだけじゃねぇか。あきらめの悪い」


 馬鹿にしたような物言いに、ツナミのせっかく落ち着いたテンションが、一気に跳ね上がる。

「はぁ!? なによ、あんたに何が分かるわけ!?」

「知らん! 何も分かんねぇな! だがな、恋愛を『恋は美しいから』みたいなよく分からん理由で無条件に美化する奴は、だいたい気に食わないんだよ。恋は美しくて良いモノ、とかご大層に言ってるが、時間もお金もかかるしストレス溜まるし、サイアクじゃねぇか! なにが、ただ好きなだけ、だ。ばっちりしっかり引きずって身を亡ぼしてんだろうが!」

「アンタあれでしょ、乗る直前の飛行機蹴って恋人に会いに行くシーン見て『飛行機代……』って言うタイプでしょ!」

「そうだよ!」

「駅のホームで抱き合ってるシーンを見て『こいつら邪魔……』っていうタイプでしょ!」

「そうだよ!」

「ロマンがないわね!」

「浪漫で金は稼げない! なにより、もういない人物に感情引きずってる姿が、一番美しくないと思うけどな!」

「そんな簡単に切り替えられたらこんなに悩んでないわよ!」

「出来るかどうかじゃねぇ。やるかやらないか、だ。しかもフラれたとかじゃなくて、相手もう死んでんだぞ!? 一番あきらめつくパターンじゃねぇか」

「それでも思い通りにいかないから、感情は厄介で美しいんじゃない!」

「めんどくさいだけじゃねぇか!」


 アランのその言葉に対する返事は、もはや言葉になっていなかった。ボ、という着火音が、耳を焦がす。

 ツナミの周囲が、熱く滾る錆浅葱の瞳が炎上していた。人食い花かと思わしき巨大なバラが、荒れ狂っている。炎のジャングルだった。バラ園どころではない。


 ギッと目を吊り上げた女が、アランを睨む。

「……アランさん、言っときますけど、僕助けませんからね」

 背後からぼそっと言ったのは司だった。アランは、おぅ、と一つ息をつく。

「荒療治だよ。誰かが何か言わねぇと」

「まぁ、そうでもしないと、なところはありましたが……」

「他人の恋愛観、なんてものがこの世で一番どうでもいい。俺だって好き好んで言ってねぇよ」

 うんざりしたようにそう言うも、眼前はすでにうごめく紅に染まっている。


 アランはツナミから目をそらすことなく、手首に通された六角形の輪を片方の手で外した。すぐさま六角形の一辺から柄が伸び、その長い柄の部分を握れば、今度は対辺から刃が形成される。そうして本来の形を取り戻した矛を水平に構え、アランはすぅと目を細めた。

「……第二幕、開園だな」


 しゃん。


 ゆっくり腕を振り上げ、ツナミがポーズをとる。透き通った声が、開始の宣言が、吹き抜け式の大広間に鳴り響いた。


「あたしの炎は、すべてを魅了する! さぁ、咲き誇れ!」


Column

【アラン】

話す前に一度は考える慎重派。黒いコートの男。女性恐怖症の気がちょっとある。原因についてはまたいづれ。

 

イラスト:ソルトコさん

 

【あの人】

アランが昔所属していた組織の元上司。チャラい系おじさん。

【預言書】

“神”からの神託を受け取るための書物。書き込めるのは英雄ただ一人。神託以外の内容は書けないようになっていた。


【エルフ】

水を操る能力を持った種族。銀髪と尖った耳が特徴。基本的にはある街に固まって暮らしている。

【フィナーレ】

序盤、中盤、終盤、隙がなかったとしても終わりはやってくる。エンディングが鳴り始める前の段階。終わったと思ってからのCパートにも注意。

【雨】

夏のゲリラ豪雨にもお気を付けください。

【司】

笑顔が絶えないエルフ。水の塊に乗って移動することが多い。常に敬語で話す。戦闘になると容赦のない力技をとることが多い。

 

イラスト:水々さん

《砂縛》

花人が持つ、感情を維持し続けなければならない現象。またはそれら各々の感情のこと。それぞれの決まった感情が完全に消えてなくなったとき、花人は枯れて死んでしまう。

【ヲリヴィヱ・ヨトゥンヘイム】

アランの中では、名前ぶっちゃけ読みづらいランキング堂々の1位。嘘つきでいい加減でチャラくて、いろいろ強いおじさん。口癖は「嘘だけど」

 

イラスト:おふるさん@ofuru_c