Y.SO.12

 

「……キメラは人工の魔物よぉ。キメラがいるってことは、それを作った人間もいるってことよねん? なら、そっちの方が『諸悪の根源』じゃないかしら?」

 

 暗く毒々しいドロッドロのスムージーに蛍光イエローの着色料を入れたような、まさに男の裏声というべき違和感の塊が、黙りかえった辺りに染み渡る。

 栗色のキューティクルがキラキラと夕日を弾く。

 マスカラばっちりの右目はレビンと周囲にいる三人をとろりと見つめる。

 

「先生、いいところに!」

 レビンが声を弾ませて呼びかける。

「……来たか変態教師…!」

 同時にクロートもまた目を見開き、険しい視線を強めた。ギリリ、と歯を食いしばる音が聞こえる、気がする。

 東四郎はぽかんと口を開いた。え? と繰り返しながら声の主に顔を向ける。

 

「変態だなんて、クロートちゃんもひどいこと言うようになっちゃったわねぇ。ふふ、でも久々に見た無精ひげがワイルドで男前だから、許してア・ゲ・ル」

 

 チュ、とか聞こえた。一瞬にして目をそらしたくなった。

 しかしその人物は嫌でも目に入る。視界から背けたいのに、なんかこう、存在感が、キツい。

 鮮やかな紫色のルージュに、同色でアートされた爪先。手入れされた栗色の髪は左目を覆う。

 モノクロの毛皮で首元をうずめたコートから視線を下げると、想像よりは細い足首と紫色のヒールブーツが目に留まった。

 

 だが男だ。見た目は一瞬騙されるかもしれないが、声は完全に裏から出しているまごうことなき男性だ。

 

「その隣は新人君よねん? 招集に反応したのかしら。将来有望ねぇ。でも目標レベルに達しない間は緊急要請でも来ちゃだめよぉ? ほかの勇者たちの足を引っ張ることになるから」

 

 その男は、パープル鮮やかな唇に指をあててニヤニヤと東四郎を見ている。

 できれば注目されたくなかった。この人物は、東四郎でも知っている。というか、有名すぎる。

 

 平和維持法人HERO専属講師、クイーン。

 組織が勇者育成のために正式に雇用した、いわゆる正社員というヤツだった。

 クイーンが講師を務めるセミナーは毎回キャンセル待ちが出るほど人気で、最近は映像での受講が話題だ。

 メディア露出も多い。街中の巨大モニターでHEROのコマーシャルが流れた際には、この男がケバい口紅のまま教鞭を振る姿がちらりと見れる。見たいかはともかく。

 東四郎は今日この瞬間まで、あのCMは宣伝用の誇張表現だろうと思っていた。ちょっとヘンなキャラクターを作って、印象に残すための広報戦略なんだと思っていた。

 

「うふふ、その辺りも手取り足取り教えてア・ゲ・ル。だからアタクシの研修受けにきてねぇん」

 

 素だ。完全に元からこんな人なんだ…!

 東四郎は衝撃を隠しもせず、目を見張る。

 一方でクイーンは、功績をあげた三人の勇者をじっくり見定めて、満足げに息を吐いた。

 そしてポケットから煙草を一本取りだすと、指先に魔法の火を小さく灯して先端を燻す。掌で口を覆うようにフィルターを鍛え、細いモコモコの毛皮に首をうずめて微笑んだ。

 独特の薬草の香りが立ち上る。

 

「それで、何度も言うけど、キメラってのは必ず『生みの親』がいるの。キメラ自体は倒せばいけれど、親は放っておいたらまた魔物を生み出すわよねぇ? だからキメラの証拠隠滅もしなきゃだけど、合成した犯人は絶対に捕まえないとダ・メ。今後キメラが創られないように、キメラの存在なんて誰も知らないように、適切な処理をするのも勇者のお仕事よ」

 

 ふー。クイーンが息を吐くと同時に、白い煙が乾いた空気に紛れる。

 レベル35の先輩が「知ってる」と言いたげに眉間にしわを寄せて頷いた。そしてレビンは、穏やかに口角を上げる。その眼には、宥めるような色が宿っていた。

 宥める? なぜ? 新人がそう思って、疑問を口に出す前。

 

「だから、その男、『ロス・F・エザー』を引き渡してもらえるかしらん?」

 

「…………え」

 予定していたセリフがキャンセルされ、新米勇者の声が、固まった。

 

「むしろ、いつまで気を失ったふりをしてるつもりかしらん? キメラ合成の主犯格。アタクシがアナタを追って、捕まえに来たことぐらいわかってるわよねぇ。もう仲の良かったペットショップ店主もいないわ。アナタが、キメラにしたのだから」

 

 クイーンのセリフは新人が支える白衣の人物に向けられている。

 ギギギ、と錆びついた機械のように首を回す。助けたと思っていた一般人が、キメラ合成者? つまり、犯罪者。諸悪の根源。この事件の、首謀者…? あのおぞましい大量のキメラを作ったのが、この人…?

 

 ひゅっ。東四郎の腹の底が急激に冷えていく。

 犯罪者を支えているというよりも、危険人物に肩を預けているという実感が、今さらの恐怖となってぞわりぞわりと這い上がる。

 しかし同時に合点もいった。キメラの手から落ちる白衣を受け止めて、無事を確かめるためその顔を覗き込んだとき、白衣の男は確かに笑っていたのだ。安堵でも安心でもない、愉快というべき口元の笑みは、いまだ東四郎の頭に残っている。

 

 するとそうか、キメラの狙いが完全に自分だったのも納得がいく。人間が素材となったキメラは、合成者を恨んで報復に出たのだ。そして志半ばで、勇者によって倒されてしまった。

 

「逃げ場はない、助けてくれる人もいない。どんな手を使おうとも、今この場にはレビン坊ちゃんまでいるわぁん。あの魔王と互角に戦った筆頭勇者を前にして、ロクな手が通じるとは思わないことね」

 

 ふー、と紫煙が虚空に消える。

 東四郎は怖くなって、とうとう白衣の肩を支えていた腕を引く。だが倒れこむと思った男は足取り確かに体を支え、顔を伏せたままかすれ切った声を震わせた。

 

「…………私は、殺されるのかな?」

 妙に楽し気な語気が、薄っぺらい笑みが、恐怖を煽る。クロートが大剣に手をかけ、東四郎は一歩後ろに下がった。

「いいえ。アナタにはまだ聞きたいことがある。そして、罪人は死ぬのではなく裁かれるものよ。……宝石店『キンキラリンにあどけなく』店主、ロス・F・エザー。……おとなしくアタクシの手に落ちなさい」

「…………仕方ないね」

 

 それが、助けた男の最後だった。

 

 クイーンの魔法で行動を制限され、やけにあっさりと引き渡された白衣の後ろ姿を、東四郎は呆然と見送る。

 ぞわ。

 体には、先ほどの恐怖が戻ってきていた。キメラによって脅かされた命に対する生物の根源的な恐怖。あのキメラを創った狂気の手を、つい先ほどまで自分が支えていたという理解と実感の恐怖。

 同時に、まぎれもない悔しさもあった。自分がしたことは何だったんだ。いっそ助けられない方が良かったのか? そうではないと分かっていても、そう思わずにはいられない。

 

 もちろんキメラ合成は犯罪で、その首謀者が捕まることは必要な成果だった。

 だが東四郎にとっては、初めて行った勇者としての人助けだったのも事実だ。

 結局、先輩勇者と新人が死力を尽くして助けた命も甲斐のないものとなる。

 背後には十数人の勇者たち、周囲にはレビンとクロートが残る。

 

「……あ、あのさ、」

 

 うつむき目を伏せる新人の顔を前に、筆頭勇者レビンの様子はそわそわと落ち着かなかった。あー、うー、と言葉を探し、最後には気遣わし気に口を開く。

「……キミは新人勇者だったんだな! 俺全然知らなくて、でもこんなレベル高いキメラ退治に貢献するなんて、本当にすごいと思うぞ!」

 傷だらけの日に焼けた腕をバタバタと動かして、金髪の髪がワタワタと揺れる。

「アンタ励ますの下手だな」

「うぐっ」

 クロートの容赦ない一言が筆頭勇者の心に刺さる。

 そんな様子を見ても揺らぎ続ける新人を前にして、レビンの目が、深い蒼色をしたその目が、力強い光を放ちながらふんわりと柔らかくゆがんだ。

 

「……絶望した?」

 

「……え?」

 くしくもそれは、クロートが問いかけた内容と同じ。戸惑う東四郎の一瞬の間を縫うように、レビンは続ける。

 

「さっきさ、元人間の魔物でも簡単に殺すのかって聞かれたけど、……ホントは、あのキメラが合成される直前に、研究室でその話を散々した後だったんだ。連行された白衣の人に『人を素材することに抵抗はないのか』とか、『人の命を何だと思っているのか』とかいろいろ訊いたけど、あの人は全部答えなかった。ずっと笑ってた」

 

 ぞわり。あの薄っぺらい笑みを思い出して、東四郎の腕に鳥肌が立つ。

 

「でも、創られてしまったキメラは、もう殺すしかない。俺たちは世界を守る勇者だから、次のことを考えて、……切り替えなくちゃいけない」

 しん。と、昏く静かに輝きともすレビンの目は、決意に輝いている。

 真剣に、真面目に、覚悟を決めて、この勇者もまた戦っていた。信念抱く瞳は力強く瞬く。レビンは一つ目を伏せてから、今度は目尻に明るさを取り戻す。

 

「俺さぁ、『かあさん』に頼まれて《勇者》やってるけど、ホントこの仕事大変だよな! 人を守らなきゃいけない、人を助けなくちゃいけない、町は壊されちゃいけない、魔物は倒さなきゃならなくて、悪人でも殺してはいけない。勇者にしてほしい仕事は多すぎて、何でもかんでも勇者に頼んで、そんなことも俺がやるの? って思うこともあったし、やり終わって誰も感謝してくれないことも、やっぱりあったよ」

 

 しかしそう言ってから、男は……笑った。

 やりがいと希望に満ちた表情で、口角を釣り上げて、笑った。

 

「でもさ、そうやって困ってる人は《勇者》ならできると思っていて、俺だから頼りにしていて、そしてきっと、本当の意味で俺たちにしかできないんだ!」

 

 レビンはふいに視線を外す。振り返った先には、生き残った小さいキメラを処理する勇者たち。その奥には、……街の明かりが見える。

 辺りはもうすでに夜に差し掛かっていた。窓からこぼれる灯が、民家の様子を、平和な暮らしを証明する。

 

「『人を助けるだけの力があるのなら、その力を正しく使わないのは、罪だ』……俺に剣を教えてくれた人は、いつもそう言って戦っていた。かっこいいだろ?」

 

 レビンのはつらつとした声が、東四郎にしみこんでいく。

 同意を求めて首を傾けるその表情は、無邪気な少年のようで、しかし間違いなく己を鍛え上げた強者のそれだった。

 

「だから、俺も戦うんだ。俺には力がある! 俺にしか救えない人々がいる! 勇者がやらなきゃ、誰がする?」

 

 褐色の腕にギュッと力が入った。やるべきことを決めた強い目が、誘うように東四郎を見つめる。レビンの声が、大きく轟く。

 

「……希望を持ち続けるんだ! 勇者の力は、等しく世界の人々のためにある!」

 

 今日キミが行った行動は、その結果は、決して無駄なものじゃない。明日の平和のための、必要な一歩だったんだ。だから、

「これからきっと、もっと辛いことにも遭遇すると思う。でもその辛さを乗り越えていくのが、勇者なんだと思う。なので、えーっと、なんか最後何言ってるかわかんなくなったけど、……うん、これからも頑張ろうな!」

「アンタ締め方下手すぎるだろ」

 呆れたクロートの一言がやはり筆頭勇者の心に突き刺さる。

 

 だが、その気安さもまた、レビンの人柄の良さを感じさせた。

「……ッス!」

 言葉が出ず、一度大きく頷いた新人の様子を、二人の勇者が見守る。

 もう大丈夫だな。これからどうする?

 短い言葉の打ち合わせに口を挟まず、東四郎はクロートの後ろについた。

「俺は『かあさん』に報告しなきゃ。で、このあとって……」

「分かってる。発生したキメラの処理。……つまり残党狩りだろ?」

 お願いできるかな? そのための《勇者》なんだろ。

 レビンとクロートは最後にそう言いあって、互いに背を向けた。

 ここからはそれぞれの仕事がまだ続く。つまり、まだキメラ討伐の仕事は終わっていないということ。

 

「じゃぁ、俺行くな。今度は会うときは『毘』の本社で!」

 そう言って駆け出すレビンの背中はたくましく、眩しいほど大きく見えた。自信と覚悟で塗り固められた肩。軽装の鎧を付けた後ろ姿に、東四郎はつい頼ってしまいたくなる。

 

 《筆頭勇者レビン・アールヴヘイム》

 平和維持法人HERO公式が認めた、勇者の代表的な存在。

 

 その実力はかの魔王にも匹敵するほど。メディアへの露出や総決算ラグナロクの出場によって、「勇者」といえばあの男がまず浮かんでくる程度には、今やレビンの存在は世界に知れ渡っていた。

 有名だから強いのか、強いから有名なのか、いや、そのどちらも違う。

 奴が誰よりも何よりも、《勇者》だから。

 行動。意思。実力。そして実績。すべてにおいて、この男なら何とかしてくれるという、《希望》を感じさせるから。

 

 だから人々はレビンに期待し、望みを託すのだと、東四郎はこの瞬間身に染みて感じていた。

「オレもいつか、あんな勇者に……」

 遠すぎる目標は現実味を失う。笑われるかもしれない。だが新人はそう思わずにはいられなかった。

 集中し、憧れに浸る意識はすべての音をかき消していた。頼りない正義の使者の未熟な顔に向けて返事する者など、いない、……はずだった。

 

「……なら、まずするべきは目の前の仕事だな」

 ゴーグルの奥から新人をまっすぐ見据える視線が、冷静な口ぶりで試すような答えが、東四郎に返ってくる。

「クロートさん……」

 呆然と口からこぼした。

 先輩勇者は背負う形で装備した大剣を、鞘の上からそっと撫でる。

 

「キメラの存在は、公には認められていない。一般には『すでに滅んだ技術』と言われているのが合成獣だ。だが、その認識を続けてこられたのは、ひとえに勇者たちがキメラの証拠を隠滅してきたという功績に他ならない。よって、」

「……今日このキメラの群れも、すべて消去される、ッスね」

 東四郎はゴクリと息を飲み、今日だけでずいぶん汚れた剣を握りなおす。

 

 耳には戦闘の喧騒が戻ってきていた。振り返れば、あちらこちらで勇者たちがキメラの駆除を続けている。

 クロートは淡々と言葉を続けた。

 

「ちなみにこの処理が終われば、支社に戻って報告書の作成、審査課に提出して賞与ポイントの受け取り、その後交通費の申請とキメラ駆除完了書の作成があるからな」

「え」

「記録はセーブだ。勇者を続けていく以上必ず行う必要がある。今回は緊急要請だからないが、通常のクエストなら短期契約完了書類の手続きもいるし、クエスト達成確認の監査も入ったりする。しかも今日が初日なら、給料振り込みの手続きとかも必要だろう」

「えっ」

「東四郎。よく覚えておけ。勇者の仕事ってのはな、いくら契約社員だろうとも、いやむしろ契約社員だからこそ、花形の戦闘部分なんざほんの少しで、あとは全部事務処理だからな!」

 

 行くぞ!

 最後にそう言って飛び出したレベル35の中堅勇者を、レベル1新米勇者が慌てて追いかける。

 今日だけでだいぶレベルは上がってそうだが、その今日がまだしばらく終わらない予感に気が遠くなりながらも、勇者は新品だった剣を構えた。

 

 すべては、人々の平和のために。

 勇者の力は、等しく世界の人々のためにある。

 

 

業務その5  勇者たちのお仕事 了

 

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