Y.SO.14

 

「アンタまさか……とか言わないでしょうね?」

 

 ツナミは、アランのTシャツを見るたびに思い出す。

 一年前。みことが憔悴した少年を背負って魔王城に帰ってきたあの日。出迎えた司にキメラの対応を丸投げして、ツナミは一束の書類を差し出した。

 

「あの子、『タクヤ』のままでいいの?」

 

 入口の大門くぐったその瞬間から、慌ただしさ身に染みる魔王城の大階段。

 階段の途中にある踊り場にて、魔王ミラージュ=アランは受け取ったレポート用紙を淡々とめくる。

「いや、関わった人間はもう全員死んだってことで処理させてるから、『タクヤ・ガレット』がそのまま生きているのはまずい」

 速報、と題されたその書類は、先の仕事で依頼主から預かった報告書だった。潜入した研究所の所感や、連れて帰った少年の境遇がまとめられている。

 

 ペットショップ『断罪』を経営していたガレット一家。

 この家の亭主が事件の首謀者の一人であり、その家族は実験の被害者だった。母、息子二人がキメラの実験素材にされ、その内長男だけがキメラの《商品》として成功。今この魔王城に引き取られている。

「せっかく生き残っても、社会的には死んだ扱いにする。ってこれも一般人への配慮なわけ?」

 理解はできてもまだ納得はしていない。ツナミは心意を尋ねて肩をすくめた。

 その語気に含むは、「あたしたちが一般人にそんな気遣いをする必要ある?」といういかにも魔王軍らしい思考。アランは内心で「それな」とつぶやく。

「あー、まぁな」

 しかし理性のフィルタを通ったセリフは、含みを持たせて物理的肯定を返した。

 魔王の視線が追及を避けて手元に落ちる。目に入った『被害者名簿』の文字。そこにはもう存在しない人間の名が、黒々と無機質に並んでいる。

 

 基本的に、キメラの末路は死の一文字。

 いくら元人間とはいえ、魔物は魔物。民衆の脅威となるものはすべて排除するべき。というのが、人間社会の方針だった。

 加えて、その存在は社会で認められていない。

 かつて世界を統べた組織ガーディアンの決定により、合成の技術は完全に管理され、そしてキメラは絶滅した。というのが、世間の一般常識だった。

 この絶滅神話を、未来永劫続けていくため。

 魔物の駆除報告によって、人々を安心させるため。

 

 ……キメラという魔物になった少年は、社会的に抹消される。

 

 ミラージュ=アランの短い肯定は、「世間のニーズ」という皮をかぶった「人間の擁護」という意味を含んでいた。

 でも、本当にそんな意図が?

 そんな理由しかないのなら、この男がおとなしく従うはずがない。社会に生かされているだけの烏合の衆ほど、この男が嫌うモノもない。

 ツナミは首を傾げて、必要以上に語らない金の目をじっと見つめる。一挙一動に気を配った緑色の視線は、薔薇の棘のように鋭く、痛い。

「……まぁ、要するに、だ」

 アランは軽く息をつく。逸らした視線は逃げきれなかった。肘をついた欄干に鎖がぶつかり、じゃらりと音を立てる。

 

「今回に至っては、そもそも一家がキメラ化してたことすら隠ぺいするはずだ。お前らが倒したという母親も、息子二人もな」

 

 キメラ化したうえで処理された、という結果では、今後ガレット一家の存在そのものまで世間から隠し通さなければならない。キメラという生物を、この世に存在させないために。

 だが、キメラ化していない人間のまま、それこそ全員魔物に殺害された、ということにしてしまえば、『ガレット一家の悲劇』として公の記録にも残すことができる。人間たちが大好きな、悪に虐げられる弱者の図。

 

「だから、人間のタクヤ・ガレットには記録上死んでもらう」

 

 一度化け物になった者は、もう人間には戻れない。名前を捨て記録を消し、過去をなかったことにして、キメラとして生きていくしかない。

 ヴィランズの頭首としてアランが少年に残した道は、それだけだった。

「……ってのが依頼主との取り決め。一応、業務のエビデンスを残さなきゃいけない一般企業としての必要処理だな」

 他人事のようにそう締めた魔王の目には、驚くほど何の色も映っていない。

 真意がうかがえない淡々とした口調だが、しかしツナミには何となく分かっていた。腕組みした若苗色に押し上げられて、豊満な胸がぎゅむと盛り上がる。他意はない。

「ふぅん、なるほど……」

 なんだ、やはり社会の、人間の都合でしかないわけだ。魔王の立場から見ると面倒なだけで旨味のない話ね。

 ツナミはすぅと目を細めた。呆れを含んだ嘆息は、おそらくだが正しく伝わっているだろう。口元に薄く笑みを乗せた魔王の視線に否定は込められていない。

 

「……むしろ、」

 アランは一度だけ目を伏せ、ふいに姿勢を戻して天井を見上げた。ぐっと背筋を伸ばし、髪をかき上げて整える。ぽつり。付け加える表情はどんな色をしているか読み取れない。

 だがその声はからかうように、にじみ出る嫌悪感を隠さず、現実を突き付ける硬質さを持ち、不穏な意志を感じさせた。

 

「むしろ俺は、今さら《キメラ》を隠すことに限界が来てると思うがな」

 

 それは、ただの事実。

 キメラ討伐の依頼はここ数年で一気に増えている。

 ヴィランズの情報網でも、勇者がキメラの処理をして終わった案件を聞いていた。今後は目撃者が増えていく一方というこの状況で、存在を否定し続けるには、正直無理がきている。

 形だけの存在拒否に、なんの意味があるのか。

「……まぁ、それもそうね」

 ツナミは素直に同意を示すも、しかしこればかりはどうにもならない。

 薔薇の花人は、ふるり、荊混ざる赤の髪をいじる。端からじわじわと枯れ始めた薔薇の花びらが、はらはらと踊り場に落ちて、ふわり、燃えて消える。

「……今すぐにどうこうできる話じゃねぇしな」

 アランもまたあっさりと引き下がってうなずいた。二人で顔を見合わせ、同時に大広間を見下ろす。

 まずは現状の問題を。

 

「とりあえず、あの子は今日が誕生日。さて、これからなんて呼ぶ?」

 

 ツナミは切り替え素早く声色を変える。視界に入ったキメラの意識はまだ回復していない。寝ているのをいいことに、司にされるがままだった。

 その小さい体に不釣り合いな、価値の塊。

 移動中隠されていた少年の右目は、つい先ほどアランの手で封を解かれた。

 薔薇香るシャンデリアの下、いびつな結晶をかたどった鉱石の増幅装置がキラキラと光を反射している。

 その輝きは、ぞっとするほど美しい。

 ツナミは無意識に笑みを浮かべる。

 人としてはあまりにおぞましいキメラの証。

 だがこの魔王城ではそんな異物を気にする者など少ないだろう。誰もかれもが、公開するしないはともかく《異常》を抱えて生きている。それが非営利団体魔王軍組織ヴィランズという組織だった。

 むしろあたしは美しくて好きよ。魔物だなんて、ひとくくりにするには惜しいと思わないのかしら。

 

 にんまりと頬に手を当てた薔薇の花人は、その艶やかに光る錆浅葱色の目を魔王に向ける。そして隣で同じようにキメラを見下ろす金の瞳が、珍しく悩み揺れるのを見て、パチパチと瞼を弾かせた。

「そうだな、何か呼び名を決めるべきか。タクミ、……タク……、タク……」

 あのアランが、ぶつぶつと考え込んでいる。

 そこだけ空間が切り取られたかのように没頭して口元に指を当てる様子は、ちょっとの贔屓目でそこそこかっこいいが、そうではなくて。

 

 ぞわり。

 

 ツナミは嫌な予感がした。黒いコートの下、『まないた』の文字が、高笑いを浮かべている、気がする。

 聞いている。

 この、我が愛しの魔王様は、普段なら呼吸するように経済の機微を見分け、たとえ酔っていても正確な経営判断を下すのに、こういった特にこだわりのないどうでもいい決定になると、なぜか。

 こくん、とつばを飲み込む。

 そして、うつむきがちだった魔王がふとひらめいたように目を見開き、顔を上げたその瞬間に。

「そうだ、たく

 

「……アンタまさか『たくあん』とか言わないでしょうね?」

 

 

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