Y.SO.14

 

「レビンにとって、勇者の仕事は実家の『家事手伝い』に過ぎないわ」

 

 家事手伝い。つまり、……例外もあるだろうが、金銭が発生しない。

 何よりも魔王が「気に食わない」のは、このことだった。

 無償で人助けをする勇者、と聞けば耳障りはいいだろうが、アランにしてみれば、成果に対して正当な報酬を要求できないようにしか見えない。

 仕事には給料、ないしは報酬があって初めて責任が生じる。

 レビンがやっているのは厚意と行動だけが先走った自己満足の押し付け。親に頼まれたからといっても、どれだけ勇者らしい能力があっても、責任も負わず楽な身分である時点で、アランはレビンの言葉に耳は貸さない。

 

「社会人としての責任も覚悟もないまま、俺の前に立つんじゃねぇ青二才!」

 

 アランは最後にそう言い放つ。

 そして勇者筆頭の呼吸を待った。言い返すなら返してみろ、ギリと睨んだ黄金の奥で、闇色の光が揺らめく。

「…………」

 沈黙が落ちる。数分の静けさが何時間にも感じられた。伏せた青の目がどんな表情をしているのか、今は読めない。

「…………」

 そして苦しい閑静の時を制し、レビンが、動く。

「……アラン」

 魔王の名を呼んだ声は小さく、あまりにも頼りなかった。

 アランは答えるように矛を握り直す。ツナミと司が同時に身構える。

 勇者が、顔を上げた。

 

 

 

「……アラン、ごめん。ちょっとよく分かんなかったから、もう一回分かりやすく説明してほしい」

 

 

 

「…………」

「……」

 

「…………分かんないって、どこから? 何が?」

 震える唇を抑えてアランが尋ねる。何かを耐えるように、カランと音を立てて変形した武器が腕輪に戻る。

「【かあさん】がラグナロクで何か言ったって辺りから……」

「最初からじゃねーか」

「う、うん……。なんというか、話の意味というか内容全般が全く……。えーと、俺が途中で『助けたい』って言ったときも、本当は全然分かってなくて、」

「あぁ、どうりで返しがヘンだったんですね」

 レビンの言い訳を司が即答で切り捨てる。

「……なんで分かんなくなった瞬間に訊かないんだ」

「話が全部終わった後に訊こうと思って……」

 

 あ、この子、そこそこ馬鹿なのか。

 ツナミは、キツく苦言を呈すアランにしょげるレビンを呆れ顔で見つつ、内心で納得した。

 普段アランや司のような理解力の高い集団にいると、こうした「分からない子」が新鮮に見える。むしろ緑豆ぐらい無知をひけらかしてくれたら、こちらも最初から説明に入ろうと思えるが、いかんせんアランと引き分けた人物なだけに、失念していた。

 

「いやいや、分かんないまま話し進めても結局意味ないだろ。質問しろよ。こっちが何回も説明するとか二度手間もいいところじゃねぇか」

「……ごめん」

「謝ってほしいんじゃねぇよ。入社したての新入社員かお前は!」

「アラン、残念ながらこの子入社もしてないわ」

「そうだった…………」

 

 額を抑えるアランの顔は心底辛そうだった。レビンの体が縮こまる。

「俺、馬鹿でごめん……」

「まぁ、いきなり賢くなれとか言われても無理なんだから、気にしなくていいわよ。次同じミスをしないように、メモとるとか、途中で訊くとかした方がいいと思うけど」

「魔女さん、優しい……」

 優しい、のだろうか。ツナミは自問しつつも「まぁ敵陣地まっただ中でしょげるのはやめておきなさい」と付け足す。敵陣営に慰められてるあたりでどうかと思うが。

「うう、頑張る…!」

 レビンの回復は早かった。

 誰かが回復魔法かけたのかと思うくらい、早かった。

 ぐっとこぶしを握ってすっくと立ちあがった褐色肌の男は、身長以上にでかく見えて。

 

「今日の失敗は明日の成功! 俺、次は頑張るな!」

 切り替えた快活な表情が、三人の言葉を奪う。

 

「なぁなぁ、それと、『悪のサンマ』が揃ってるのを実は今日初めて見て、本当は俺すっげぇ感動して! 三人そろってる写真撮っていいか?」

 くるりとツナミに焦点を合わせた明るい瞳が、好奇心にきらめく。最新式の携帯通信機が、いそいそとポケットから顔を出す。

 メンタル強いわね……。ツナミはアランの顔色を窺いつつ、頬に手を当てて口を開いた。

「……写真は流出するといけないからNGね」

 そんな真顔の拒否にも、レビンに堪えた様子はない。

「そっかー。じゃぁ握手! 魔女さんと、魔神さんで!」

 レビンは朗らかに笑いながら右手を差し出す。指までよく焼けた手は無数の傷跡が残っていて、なんだかんだ言っても楽して生きてきたわけではないことを匂わせた。

「…………」

「……」

 司とツナミは一瞬だけ目を合わせてからアランを見る。

 

 

 

 

「いや、そこは俺じゃねぇのかよ!」

 

 あぁ、うん、そうなるわよね。ツナミはうんうんと頷きつつもう一度褐色の右手に目を落とした。

「握手したかったんですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど!」

 正気を疑うような司の言葉をこれまた即答で否定しながらも、アランの腑に落ちない声色は大広間に響き渡る。

「ん? アランは嫌かと思って」

「そこは分かってんのかよ!」

 完全に目の据わった魔王の叫びが、強い視線とともに勇者を糾弾する。

 だがレビンの善意は止まらない。

「でも俺はあきらめないからな!アランは『仲良くなれない』とか言うけど、さっきはなんかすごく問題が多いみたいな感じだったけど、俺とアランが力を合わせたら、必ず解決できると思うし、できないことなんてないと思うんだ!」

 あ、すごい。この子、ポジティブすぎる。ツナミは目を見張ってたたらを踏む。今までいなかったタイプだ。

「仲良くなるためにはさ、まずお互いが『親友だ』って認識するところからスタートだろ?」

 話を聞いて無視することはツナミにも多いが、話を聞いたうえで無視するタイプは初めてだった。

「あきらめちゃだめだ! 俺は、俺がアランと仲良くしたいと思ってる! 一緒に川で釣りをしたり、一緒に公園でキャッチボールしたり、一緒に映画を見に行きたいと思ってる!」

「俺はそんな自分絶対に見たくないけどな……」

 アランの表情筋がおぞましいものを見たかのように引きつる。

 ツナミも同意する。確かにそんな魔王は見たくなかった。

 ここでアランは論点を戻す。話を整理するべく一度呼吸を置いて。

 

「だから、俺はそもそも仲良くしたいとも思ってな……、いやちょっと待て、この会話またすんのかよ!?」

 しかし既視感に気づいてしまった。このままいけばまた十数分同じ会話になるだけだ。

 あ、だめだコイツ話通じねぇ。

 

 絶句。アランがここに来て初めて言葉を失う。正確には、レビンには何を言っても無駄だという事実に打ちのめされる。

 万策尽きる。実際には尽きてはいないのだろうが、どんな策も謎の超理論で通じないような気がしてならない。

 そして、こういう時に何らかの対処をするのは、決まって司だった。

 

「ではまぁ、とりあえず、最初の要請通り、お帰り願いましょうか」

 

 ぽそり。

「え?」

 鈴の鳴るような声が名案とばかりに弾んだ直後、水の牢は再び勇者を閉じ込め浮かび上がる。個体ではないはずの水は、それでもレビンの足をとらえ腕を封じ、身をとらえて浮かび上がった。

「えっ、えっ? 待って、まだ話は終わってない!」

 武力行使ともいえる処置。ここにきて勇者筆頭の顔に焦りが浮かぶ。

 

 これ以上何を話すつもりなんだよ……、と隣でこぼす魔王のぼやきはもっともで、薔薇の花人は苦笑してちらちらと花弁を散らす。手に持ったままの分厚い書物が、居心地悪そうに若苗色の肩へ身を任せる。

 事態はひとまずの停戦を迎えていた。とりあえずは勇者筆頭に戦闘意思がないことを確認し、ツナミは見えないように息をつく。

「じゃ、あたしは処理を再開するわね」

 少なくとも、世界情勢を揺るがすような戦闘沙汰にはならないだろう。やれやれと階上のを仰ぎ見て、そして。

 みことが機材を置いてこちらをうかがっている。

 その後ろに、光反射する鉱石のキメラ、――玻璃也(はりや)が隠れている。

 

「……司、待って!」

 

 小さい二人の姿を見た瞬間に、ツナミは思い出した。

「レビン・アールヴヘイムがここに来た当初の目的って…!」

 少年だ。

 少なくとも、『タクヤ・ガレット』の問題は確実に解決しなければ、レビンがここに来た意味がない。アランが一度答えたとはいえ、このアルバイト勇者が覚えていると思えない。念押しでもう一回でも伝えておかないと。勇者組織への土産話にでもしてくれなくては困る。

 司が振り返って牢屋の動きを止める。日の光は白い床にゆらゆらと水の影を作る。ツナミが声を張り上げようと口を開いた、そのとき。

 

 身を切るような殺気が、城を襲う。

 

「ツナミ! 避けろ!」

 

 

Colmun